NFL観戦当日。
「ヒル魔、そのかっ」
「ヨウイチ、だろ。Dad.」
ノリエガの言葉を遮って、ヒル魔がにんまり、と牙を出して笑う。
背筋を走るのは悪寒に違いない、と懸命に自分に言い聞かせながら、ノリエガはもう一度ヒル魔の姿をマジマジと
見つめた。
「ヨウイチ、本当にその格好で行くのか?」
普段は黒のイメージが強く、こちらに来てからも黒の上下を来ていることが大半だったヒル魔だが、今日選んだのは
オフホワイトのVネックニット。
胸元がゆるく開いており、綺麗に浮いた鎖骨と白い肌が見る者の目を射る。
その上には、フード部分をファーで縁取った真っ白のパーカーを軽く羽織り、ボトムはスキニージーンズで細い脚を
強調している。
本来はツンツンに逆立てている髪は、おろすと存外に長く、今日の服がユニセックス気味なだけに後姿だけ見ると
少年か少女か判断に迷うような可愛らしさだ。
いや、前から見ても、黙って大人しくしていれば少女にこそ見えないが、普段の悪魔の面影はない。
本来整った容姿をしているヒル魔は、威嚇するような髪型を止め、大ぶりのピアスを外した今、牙を見せたり悪そうな
笑みを浮かべなければ、ひどく繊細な顔立ちをしているのがわかる。尖った耳だけは隠しきれないが、それも、繊細に整った
顔と成長途中の華奢な体つきと合わさって、どこか妖精じみた印象を与えるだけだった。
格好に合わせてか、試合観戦のためか、渡米してからずっといかにも根暗そうに目元を覆っていた前髪は簡単にかき上げ
られて、白い額が見えている。
「ああ。鈍そうに見えるだろ?」
本人は、いまいち自分の容姿を把握していないらしく、ノリエガからしたら頓珍漢な答えを返してくる。
「鈍そうってより…」
儚げだ、なんてことは、この目の前のやたら綺麗な少年の中身を知っている身としては口には出さない方が賢明だと
わかっている。
「まあ、気をつけろよ」
あれこれ言いたいことはあるが、集約するならそういうことだ。
「おう、ヘマなんかしねえよ」
意気揚揚としている少年はとてもわかったようには見えないが、普段の姿を考えれば、たまにはこんなのも面白いかも
しれない。
結果から言えば、悪魔の作戦は見事にはまった。
試合が始まるまではろくにヒル魔の方を見もしなかった、下手したら隣に座っているのがクラスメイトだとすら気づいて
いなかったかもしれないクリフォードが、応援していたチームのQBのわずかな判断ミス、見ていた観客のうち、気づいた
ものが10人いるかも怪しいようなものを、父親役の軍人に不満げに話す声を聞いた途端、はっきりと視線を寄こしたのだ。
じろじろと無遠慮に見つめた挙句、話しかけてきたのはクリフォードの方だった。
「お前、Yoichi Gubos、か?」
初めて生で見るNFLの試合に興奮したヒル魔の頬は紅潮し、瞳は潤んで、明るい色合いの服装も相まって、普段俯きが
ちに大人しくしている野暮ったい黒づくめの少年とは別人に見えた。
「ああ」
何より、いじめられている人間とは思えない、強い眼差しがクリフォードの興味をそそった。
「第3Q、一発目のプレーは何でくると思う?」
聞かれたヒル魔は、相手が食いついてきたことに思わず顔を綻ばせ、
「このQBなら、ランだろ。てめえならいきなりロングパスだろうけどな」
試合の熱気にあてられて弾んだ声で答えた。
ここまでは完全に悪魔の手の内だったが、ヒル魔は一つだけ読み違えていた。
相手が一瞬黙ったのは、てっきり、ナードだと侮っていた相手の豹変に驚いたからだと思ったのだが、実際は、
クリフォードは学校で見る姿とはまるで別人の、妖精めいた少年が浮かべた笑みに見惚れていたのだ。
この年にして、華やかな美女にも美少女にも免疫のあるクリフォードだったが、今まで彼の周りにいた誰とも違う少年の
魅力に、それを言い表す言葉を探して、辿りついた言葉は"inocent"だった。今まで、彼の周りでこんなにも純粋にアメフト
を楽しんでいる人間がいただろうか。
見惚れた勢いのまま、思わず、どうしていつもはあんな冴えない風なのか、と聞きかけて、少年の隣で心配そうにしている
父親らしいごつい男を見て口を閉じる。
このクラスメイトの本来の姿がこれなら、性的な暴力に晒されかねない、と判断してのことだろう、と。
だが、そんな外見とは裏腹に、後半戦の間中、クリフォードが投げた言葉にはひとつ残らず的確な答えを、時にはぎょっと
するような過激な答えを返してくる相手に、彼がただ綺麗なものに見惚れる以上の感情を持ったのは、当然かもしれない。
そしてこの日、試合の後のクリフォードの、今までのNFLの試合のDVDを見せてやる、という言葉に、ヒル魔は二つ
返事で頷いた。
連れていかれた先は、クリフォードの家の離れのような建物だった。高校に上がると同時に移ったそこは、見事にアメフト
一色で、アメフト関連の書籍にDVD、作戦を立てるためのボードにトレーニングマシンまで置いてあって、ヒル魔を喜ばせ
た。
だが、いつもは試合を見て興奮するに任せて上げていた雄叫びや、癖になっている銃器での手遊びを押さえようとする
あまり、DVDを見ている間中、無意識にクリフォードの腕を掴んで離さなかったことに気づいたのは、一通り試合を
見終わった後だった。
「…ワリ」
腕にしがみついて画面とクリフォードを交互に見ては、さっきのプレーがすごかったの、今のはこうした方がよかったのと、
懸命に話していた自分が子供っぽく思えて、耳の先が熱くなるのがわかった。渡米してからは計算づくの言動しかしていな
かったのに、特に今は最も慎重に考えて動かないといけない人間の前だというのに、なぜこんなにガードを緩めてしまって
いたのか、自分でも全くわからない。
「いや」
気にするな、と返したクリフォードはクリフォードで、無遠慮にしがみつかれても全く嫌悪を感じなかった自分に驚いて
いた。
アメフトに夢中になる姿があまりに純粋で、どこか幼くて、嫌悪感どころか庇護欲めいたものを感じてしまったことを、
冷静な状況把握を身上とする身としては認めざるを得ない。何より、その尖った耳の先を薄らピンクに染めて恥じらって
いる姿は、元来性に関してモラルが低いクリフォードの理性を容易く揺さぶった。
それだけではない。ヒル魔と話す内容は他の誰よりも刺激的で、クリフォードの気分が試合以外でここまで高揚したのは、
初めてかもしれない。
「泊っていくか?」
若干の下心も込みで、しかし一番には遅くなってしまったことを気にして言えば、
「明日も学校だろ。着替えがねえよ」
こんなんで行ったら汚される、と言うのに、
「あいつらには俺から言って」
「イラネ」
ぷぅ、とガムを膨らませた相手に差しのべた手を払われて、思わず眉間に皺が寄る。
「てめえが俺を庇ったら、見えねえところでエスカレートするだろ。あのぐらい、べつになんでもねえから気にすんな」
ちょいちょい、と細い指で顰めた眉間をつつかれて、ついた溜息はどこか甘い。
「なら、送っていく」
家はどこだ、と聞けば、一人で帰れる、と自身の外見のことを全くわかっていない言葉が返ってきて、今度こそ深々と息を
吐いた。
「お前、この国をなんだと思ってやがる。そんな格好で一人でうろついてみろ、あっという間にその辺に引きずり込まれて
ヤられるぞ。いいから黙って送られとけ」
有無を言わさず引っ張って、バイクの後ろに乗るように促す。
「おい」
ひょい、と横乗りした相手に苦情を投げれば、
「こっちの方が面白えだろ?」
景色も見れるし、と笑われる。
「落ちるなよ」
エンジンをかけた途端、自身の腰に回った指先に力が入るのを心地よく感じながら、教えられたアパートメントまでを、
背のぬくもりに押されるように走った。
バイクを降りてから、ちょっとしたハプニングがあった。
「good night」
さっさと部屋に戻ろうとしたヒル魔の耳を低い囁きが掠め、頬に柔らかな感触が。
キスをされたのだ、と理解するまでに少し時間が必要だった。
しかし、キスをされる意味が理解できずにきょとんと見つめ返すと、相手も不思議そうにこちらを見つめている。
「どうした?」
聞かれて、やっとただの挨拶だと気づく。
そういえば、そういうスキンシップ過剰な国だった。
変に勘繰られたくなかったから、同じように頬を寄せて
「good night」
挨拶と、キスを。
慣れないそれは、ヒル魔の心の柔らかい部分を、優しく擽った。
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