ヒル魔が突然渡米する、と言い出したのは高校受験を間近に控えた一月も半ばのことだった。
既に泥門は全員合格らしいという情報を手に入れていたヒル魔には、栗田に勉強を教える必要も無くなり、入学前の
学校に対する根回しをするには時期が早く、日本にいなければならない理由はない。だから、このままアメフトを続け
るのなら一度は本場に来てみないか、と本国に帰ることが決まったノリエガに誘われたときも、二つ返事でOKしたのだった。
時期的にプレーオフが始まっているため、この悪魔のような少年をすっかり気に入っていた軍人が、NFLを見に行か
ないか、と声をかけたのだ。
それを、またしても賭を持ちかけて負かし、留学ではなく転校という形でアメリカの高校に入り込む手筈を整えさせた。
蛭魔妖一ではなく、Yoichi Gubosとして、留学生より転校生、日本人より日系アメリカ人という立場の方が、取り繕わ
ない内部を見ることができると思っての行動で、明らかにただの観光、生でNFLの試合を見るだけが目的ではないこと
が伺えた。
そもそもヒル魔はまだ中学生であり、アメリカの学校に入りたいのなら中学に入るか、高校なら9月を待つ必要がある
ところを、無理矢理一つ上の学年に潜りこむというのだ。
先に帰国したノリエガは面白がって準備を整えてやり、ヒル魔が渡米する日には空港まで迎えに来てやっていた。
「よう、糞軍人、何ぼーっとしてやがる」
ケケケ、と馴染みのある笑い声に慌てて振り向くと
「ヒル魔、か?」
そこには、黒髪を大人しくおろし、ピアスもせず銃も持たない、やけに小奇麗な東洋人の少年がいた。
尖った耳と吊り気味の眼尻を見なければ、気づかなかったかもしれない。
「おー。そんなに変ったか?」
「ああ。けど、なんで」
銃はわかる。アメリカでいつものようにマシンガンを振りまわすなんて、危険極まりない。
だが、ピアスと髪はなんのためなのかがわからず、ノリエガは首を傾げた。
「車だろ?乗ったら教えてやるよ。世話になるしな」
容姿は変わっても態度は相変わらずふてぶてしく、この姿も悪魔の策略の一部なのだと、散々そのトリックにはめられて
きた軍人は悟る。
「今回引っ掛ける相手は誰だ?」
気の毒にな、と人の悪い笑みを浮かべて問うたのは車を発進させるかどうかというタイミングで、相手が相当興味をそそ
られていることがわかって、ヒル魔も笑い返す。
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。こういうナリの奴が好みなんだろ?ジョック共はよ」
アメリカの高校にはジョックナードヒエラルキーと呼ばれる階級が存在する、とヒル魔に教えた張本人は呆れた顔をした。
「わざわざナードになっていじめられにいく気か?そんな趣味だったか?」
どう考えても逆だろ、と言われても、人を食ったような笑みは変わらない。
「俺がこっちでジョック気取んのは無理だろ。大体、年上で本場アメリカでアメフトやってる奴らが俺に劣るようだった
ら来た意味がねえよ。偵察するなら、このポジションが一番警戒されねえし、近づきやすい」
かくして、学年を一つ誤魔化した悪魔がやってきたのはノートルダム大付属高校だった。
アメフトの強豪校、後にペンタグラムと呼ばれるユースにおいてアメリカ最強の五人のうち四人までが所属する高校は、
代々の実力主義が徹底しているため殊の外階級制度が厳しい。
実際は彼らよりも年下なのだから当然といえば当然だが、目を引くほどに華奢な体躯をした大人しそうな東洋系の少年が、
迂闊に「アメフトが好き」などと零したりしようものなら、あっという間にナードに分類され、アメフト部員からいいよう
に苛められるのは当然の結末だった。
ただでさえ、9月から始まるアメリカの高校では、彼が転校してくる1月までの間にきっちりグループ分けは済んでおり、
枠はナードしか空いていないようなものなのだ。
だが、運動は苦手だろう、という前提で繰り出される暴力は、溝六指導の元しっかり鍛えている上、暴力的という点では
誰にも引けを取らないあの金剛阿含とつるんでいたヒル魔にとっては大したダメージでもなく、言葉の暴力に至っては、何
年も軍人たち相手に賭けをしていた身には可愛いものにしか思えない。
しかし、ヒル魔の予想に反して、この学校のジョックたちはそれほど積極的にナードを苛めたりはしていなかった。
突っかかってくるのはジョックの取り巻きばかりで、ジョックたちはそれを止めもせず煽りもせず、といった調子で、おそ
らく弱者に興味などないのだろう。
そんな状態だから、口の軽い連中から情報を得るのには不自由しないが、彼が特に興味を持ったこの学校のエースQB
とはなかなか接触できない。入学してあっという間に二、三年を蹴散らして正QBになった男、クリフォード・D・ルイス
はいつも取り巻きの男女に囲まれ、一人になる隙がなかった。
取り巻きたちに苛められている風を装い、その実巧みに彼らを誘導してアメフト部が練習しているグラウンドへ近づいて
は、それなりに彼のことに詳しい取り巻きたちの解説を聞きながらクリフォードのプレイを見ていたヒル魔は、自分とは似
て非なるプレイスタイルに激しく興味をそそられていた。
滞在期間が一ヶ月と限られている今、悠長に構えてはいられないとばかりに、ヒル魔は即座に次のカードを切る。
「糞軍人、NFL観戦に連れてけ」
言われて、差し出された観戦チケットを見てノリエガが驚愕の声をあげる。
「よくこんな席取れたな!俺が連れてってやるつもりだったのに、大した奴だよ、お前は」
「当たり前だろ。この隣は学校の奴らなんだから、てめえ、トチるんじゃねえぞ」
どういう手を使ってか、クリフォードたちの隣の席のチケットを手に入れた悪魔の手元には黒い手帳。
シナリオは、いつも学校で苛められている大人しい少年が父親にNFLに連れてきてもらった、というもの。それが偶然
にもクリフォードの隣の席だったというわけだ。
しかし、隣に座ったからと言って自分から話しかける気はなかった。
向こうからヒル魔に興味を持って話しかけてこなければ意味がない。
あれだけ取り巻きに囲まれて過ごしている男だ、関心をひくために話しかけてくる人間なんてごまんといるだろう。
そんな有象無象の中に埋もれては、わざわざアメリカくんだりまで来た意味がない。
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