アメリカンフットボールユースワールドカップ、第二会場ニューメドーランドスタジアム。緒戦とはいえ、今日その姿を現
すのは本国アメリカチーム。観客の熱気もマスコミのそれも、他の対戦カードの比ではなかった。この試合を観戦する者は皆
、たとえ応援するのがニュージーランドチームであったとしても、最強アメリカの勝利を疑っている者はおらず、僅かでも五
芒星の勇姿を拝めるかもしれない、その期待を少なからず抱いていた。
地すら震わせる程の歓声。嵐のようなその轟音を、クリフォードは他人事のように遠く聞いていた。多くの者にとって非日
常である筈のそれは、クリフォードにとってはルーティンに過ぎない。ミドルスクール、ハイスクール、そしてワールドカッ
プ。いつでも待ち構えているのは大歓声、期待、羨望、阿諛、嫉妬。クリフォードはただ、冷めた目で見ているだけだった。
勝負に勝つことも、頂点に立つことも、クリフォードにとっては当然の決定事項。何を騒ぎ立てる必要があるのか。ただその
扱い易さは便利ではあった。例えば、己が王族の末裔であると、少し情報操作をしてやればすぐに食いついてきた。何が王族
だ。アメリカがイギリスの支配下から独立し、人類の平等を謳って久しい。それでも今尚王家というだけで何かしらの箔が付
くという事は、平等の精神が根付いていない何よりの証拠ではないのか。クリフォードは衆を嗤い、己を嗤った。
幼い頃から、全てが手に入った。容姿、才能、頭脳、度胸。進むべき道を迷うことも、見失うこともなかった。欲しいもの
、手に入れたいもの、震えるような快感をもたらすもの、ただそれらを目指し最短距離で駆け上った。駆け上った、という自
覚も無いまま。確かにここは頂点だ。雄に生まれし者ならば、誰しもが渇きをもって望む場所。全ての戦いに勝利した者だけ
が眺望できる景色。この場所は、紛う事なき頂点だ。だが、だからなんだというのだ。何がユースワールドカップだ。何処の
国がチームアメリカに太刀打ち出来るというのだ。トロフィーも王者の玉座も、はじめからアメリカの為に用意されているの
だ。ただの出来レースではないか。確かにこの出来レースを終えれば、名実共に世界の頂点に立つことになるのだろう。けれ
どクリフォードに物語の結末は見えている。頂点に上った、けれど渇きは癒されなかった、だ。
ワールドカップ優勝、ハイスクール卒業、ノートルダム大入学、四年連続四大ボウル出場、大学卒業後ドラフト一位でプロ
入り、そしてスーパーボウル。なんて安易な人生だ、とクリフォードは思った。例えそれが万人にとって羨むべき栄光の道な
のだとしても、味も素っ気もない、何の中身もない人生だ。確かに血の滲むような努力はしてきた。才能に見合うだけの努力
を。けれど、クリフォードはそれを苦痛だと感じたことはなかったし、それによって何かが満たされたことなどなかった。た
だ、人を嵌める事が面白い、勝つ事が面白い、アメフトが面白い、それだけだった。そしておそらくこれからも、それだけだ
。だから、空虚なのだ。多少の変化はあれ、今と同じような日々を死ぬまで繰り返すのか、と。アメフトが詰まらなくなった
訳ではない、手応えのある相手に久しくぶつかっていないのだ、クリフォードは最終的にそう結論付け、空虚さに蓋をする。
クリフはまだ愛を知らないからだよ、愛というのはね、世界の全てで、世界は愛なんだよ、アメリカ人らしからぬ敏感さで
クリフォードの憂鬱を悟ったらしい父親はそう言った。僕もね、マーガレットに出会って世界が変わったんだ、なんていうの
かな、満ち足りる、っていう感覚を味わったんだよ、父親は言うが、クリフォードは愛なぞという見たことも触ったことも無
い実体の無いものを信じる気には到底なれなかった。今までに関係を持った女達の姿を思い浮かべてみる。生理的欲求の捌け
口として便利だと思いこそすれ、満足など覚えた例はない。かえって面倒さが先立つこともある。たとえ愛なぞというものの
存在を信じたところで、愛を手に入れたと語る父親の腑抜け具合を見れば、そんなものは要らないとかえって否定的になるば
かりだった。元々父親はクリフォードの理解の範疇を大きく逸脱した存在で、同じ言語を話しているのに理解し合えることは
ほぼ皆無と言ってよかった。住んでいる次元が違う、クリフォードはそう解釈している。そしてその異次元の父親が言うに、
僕はマーガレットとはまるで磁石が引き付け合うようにして出会ったんだ、あ、いや磁力というより核力?みたいな、ものす
ごく強大な力でね、抗えなかったんだよ、だそうだ。よかったな。
そして迎えるキックオフ。リターナーのパンサーがボールをキャッチし、そのままタッチダウンを決めた。上がる地
響きのような歓声。パンサーの超人的な走りを惜しみなく賛美するその声を、クリフォードは遠く聞いた。呆気ない、余りに
も。そのワンプレイでアメリカ一軍とニュージーランド一軍の力量差が露呈し、それは同時にこの試合でクリフォードの出場
が無いことを意味した。ベンチから指示を送るまでもない。先程蓋をした筈の空虚さが再び溢れ出し、クリフォードを浸蝕し
た。
「ってオォオオイ!」
「パンサーの奴どこまで走ってくんだ…!?」
声に釣られるように、クリフォードはパンサーの向かう先を見た。観客席。パンサーはタッチダウンを決めたその足で観客
席の手摺りに飛び乗り、誰かと会話をしているようだった。あのチビ…セナ・コバヤカワか、パンサーがライバルに挙げた、
クリフォードは記者会見でのパンサーの答と、その後自身で調べたセナの情報を照合した。いくらセナのランが鋭かろうが、
今のパンサーの敵ではないだろう、そう思いクリフォードは視線を外そうとした。途端、過ぎる黒と金。
ドクン、クリフォードは、身体中の血液が沸き立つ心地がした。セナの幾分後ろ側、階段を上った位置に立つ黒と金の彫像
。視線が絡む。まさか、馬鹿な、いくらなんでも遠すぎる、クリフォードは視力が低いわけではないが、人並み外れて高いわ
けでもない。あの距離で、こんなにはっきりと見える訳がない。思考とは裏腹に、身体は答を知っているようだった。あれだ
、あれがそうだ、覚えている、プレスカンファレンスでの溺れそうな熱、パーティでの溶け合う感覚。ベンチと、エンドライ
ン向こうの観客席。その距離など在って無きが如く、近くに感じる事が出来る。今日は髪を立てているのか、服は男物か、そ
もそも男なのか女なのか、様々な事が気に掛かり、しかし全てどうでもいいような気がした。
身体が火照る、息が苦しい、視界がフラッシュのようにチカチカと光る。そしてその閃光と共に、鮮明過ぎる映像が流れ込
んで来た。力強い漆黒の瞳、切れ長のそれが柔らかく閉じられ、形の良い薄い唇が誘うように薄く開く。誘われるままクリフ
ォードは開いた口に噛み付き、性急に黒のパーカーを割り開く。パーカー下のTシャツに手を滑らせ素肌を撫ぜれば、痺れが
背筋から脳天まで駆け抜ける。くぐもった声、漏れる吐息、零れる唾液。奴の背を撫で回しながら、自らの身体を擦り付ける
。あ、あ、漏れる奴の声に気を良くしクリフォードはその細く引き締まった身体を押し倒す。 柔らかさなどないその身体を
。あぁ、そうか、これは男だ、クリフォードは知っていた。だが、歯止めにはならなかった。早く、早く寄越せ、映像の中の
クリフォードが願うまま、奴はとても幸せそうに、微笑んだ。
肩を叩かれる感触に、ハッと我に返る。一体どれ程の間見つめていたのか、鮮明過ぎる幻影にクリフォードはそれが現実
であるかのように、錯覚する程だった。叩かれた方に振り向けば、「おいおいクリフォード、さっきから呼んでんのに、何ボ
ケーっとしてんだよ。今日は俺たちだよな?」と、二軍の出場を確認するホーマーが居た。辺りを見回せば、未だ自チームの
キックも行われておらず、パンサーがタッチダウンを決めてから僅かしか経っていないと知れた。
「…あぁ、今日はテメェらだ。オフェンスもディフェンスも、作戦も全部任せる。」
それだけ言うと、クリフォードはベンチで頭を抱えた。身体中を暴れ回る熱を沈める為に。
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朝食のビュッフェには、人は疎らだった。空調の効いた室内に、クリフォードはジャケットを脱ぎ、椅子の背に大雑把に
掛けた。午後には準決勝、日本対ドイツを控えている。前日既に決勝進出を決めたアメリカは、午前中に簡単な合同練習と
ミーティング、午後には偵察も兼ねて日本対ドイツ戦を観戦する予定だった。クリフォードはスクランブルエッグとパン、
そしてジャムを皿に乗せ、先程ジャケットを掛けた席に戻った。
「決勝はドイツだろ。」
「いや日本だね。」
隣のテーブル、ちょうどクリフォードが背を向けている位置で、アメリカチームの二軍選手たちが賭けに高じていた。賭け
の内容は、今日の準決勝、勝つのは日本かドイツか。殆どの選手がドイツ勝利に賭ける中、ホーマーと、テーブルに一人混じ
る一軍選手、パンサーが日本にベットしていた。
「シュルツはNFLEだぜ?プロがアマチュアの、それも高校生に負けるかよ。」
「でも日本はセナがいるし、負けるわけないジャン!」
「俺も日本にベットするわ。だって主将ヒル魔だろ?堅実なプレーほど読まれやすいって。俺らんときだってさー、あんだ
け戦力差あって一点差だぜ?泣けるよな。」
クリフォードの真後ろでパンサーが熱弁を振るい、それを隣の席に座るホーマーが援護する。しかしそれを聞いても他の面
々はドイツの圧勝を信じて疑わなかった。数字の面では確かに日本が有利に見えなくもない、だがやはり経験値の差は大きい
だろう、と。
「つってもよー、そりゃあ確かにセナ・コバヤカワのランはすげぇけど、主将のヒル魔って、ほとんど出てねーじゃねぇか
。日本のQBといえば早撃ちキッドだろ?それもクリフォードと比べちゃあちょっとお粗末だな。」
「ヒル魔が出ねーのは必要ねーからだろ?アイツは策士だ。奇策を使わなくても勝てるような試合じゃ、出てもデータ取ら
れるだけで良いことなんかなんもねーじゃねぇか。」
「そんなもんかー?だってヒル魔って選手としては二流、むしろ三流だろ?」
「いやいやあんま舐めねーほうがいいぜ?ヒル魔は相手の心を読むんだよ。選手として強いかどうかはあんま関係ねーんだ。
うちのアポロさんも、最初余裕ぶっこいてたけど、途中で焦り出しちゃってさ。一瞬でも『負けるかもしれない』って思っち
まったらヒル魔の勝ちだ。もう罠から抜け出せねーんだ。」
「そうそう!それにヒル魔はワールドカップ始まる前からめちゃくちゃ情報集めてるみたいだったし!記者会見にも、モー
ガンさんのパーティにも潜り込んでたんだよ?パーティのときなんかクリフォードとかち合っちゃってさ、もうバレないかヒ
ヤヒヤしたよー!」
「あぁ、あのメイドの格好してた奴か?」
「そうなんだよ!顔も髪型もまんまで目立ってたけどさ、ヒル魔細いじゃん?だから案外男だってバレなかったみたいで
……って、え?なんでヒル魔がメイドの格好してた、って知ってんの?」
話に夢中になる余り、パンサーは質問の主が誰であるか確認しなかったようだ。テーブルの面々を順々に見回し、最後に
隣の席のホーマーを見遣り「俺じゃねーよ。」と肩を竦められると、息を呑み、恐怖に血の気の失せた顔をゆっくりと後ろ
に回した。
「やっぱりあのメイドはプレスカンファレンスにも居たんじゃねぇか。パンサーお前、騙しやがったな?」
振り返った先には、両腕を組み、氷の双眸でパンサーを見下ろすクリフォード。パンサーは文字通り飛び上がって驚いた。
「い、いや、騙したわけじゃなくって、ね、クリフォードセンセー?ひひひヒル魔に脅されたんだ!『言いやがったら殺す
』って。ひひヒル魔って、あんときはメイドの格好してたからだけど、いつもは銃持っててスゲー怖……ってホントすんませ
ん!」
パンサーは、余程立ち塞がるクリフォードが恐ろしかったのか、仕舞いには床に膝と手を着き平謝りした。(ドゲザ、と
いうらしい)余りアメリカ人らしくはないクリフォードも今だけはなんてこった!と大仰に額に手を当て天を仰ぎたい気分で
あったが、それではバッドの三文芝居と変わらない、と思い溜息を吐くに止めた。それでも多少の苦々しさは残り、パンサー
にデザートを取りに遣らせた。
そうか、だからニュージーランド戦でセナの近くにアイツが居たのか、クリフォードの中で食い違っていたパズルのピース
がピタリと嵌った。思い返せば、プレスカンファレンスでもパーティでも、パンサーの様子はおかしかった、もっと早くに気
付くべきだったのだ。しかしクリフォードの方こそそれに気付く所ではなかった。ヒル魔と視線を交わした自分は、まるで熱
に浮かされたようにコントロールが利かなかった、クリフォードは自覚している。冷静さを欠き、ヒル魔しか目に入らなかっ
た。なんてザマだ、クリフォードはまた己を嗤った。しかし、それは空虚ではなかった。ゾクゾクと背筋を這い上がる興奮。
熱は身体の中心から、指先そして髪先まで駆け巡っていった。
パンサーが皿から溢れんばかりのデザートを持ち帰って来た。クリフォードは口の端を上げてニヤリと笑う。
「……チーム・ジャパンに$2000。」
言い放つクリフォードに、賭けテーブルの選手たちは皆言葉を失くした。パンサーが一人、「やっぱりクリフォードもそう
思う?!」と喜び飛び跳ねていた。
日本には、勝ってもらわないと困る。磁力だか核力だか知らないが、クリフォードは確かに抗えない力を感じていた。
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原作はヒル魔さんについてはかなり深くまで描写がありますが、先生に関しては残念ながら殆ど描写がないので、
先生を掘り下げてみました。
試合の日程等超いい加減ですスミマセン。流石に準決勝辺りは同日開催じゃないかと思っただけで。
クリフォパパを登場させたのはただの趣味です。しかも勝手にママの名前決めちゃった。(爆)
マーガレットの愛称はメグですが、マーガレットのほうが響きがいいかと思ってそのまま残しました。
ルイス夫妻はラブラブです。
磁力と核力についてはあまりよく知りません。ごめんなさい。