開始時刻を過ぎていた。記者会見場には熱気が立ち込めていた。アメリカンフットボールユースワールドカップ――史上初
のその試みは、参加国十六ヶ国は勿論、他国からの注目も半端なものではない。加えて、高校アメフト史上最強とまで謳われ
るアメリカ代表五芒星の内、二つの輝ける星がこれからその姿を現そうというのだ。まだ本戦は始まらずこの場に居るのが
各国報道陣のみだとしても、否が応でも熱は上がるというもの。立ち込めた熱の外に、ライバル社同士のプライドが見えない
火花を散らせてぶつかり、細い糸を限界まで張ったような緊張を与えている。そういった緊張とは無縁のヒル魔は手持ち無沙
汰で、偽造したプレスパスを徒に弄った。
下ろした髪、スーツにネクタイ伊達眼鏡。日本では目立つ金髪も此方では当たり前で、母国での姿を知る人物が今の記者席
に埋もれるヒル魔を見たとしても、人違いだと否定することだろう。プレス入りは記者会見開始時刻の二時間前に設定されて
いる。とはいえ、カメラは奴隷によって既に絶好のポジションに仕込まれているし、ICレコーダーもヒル魔の胸ポケットでス
タンバイしている。なれば席を押さえた後は特にやることも無く、ヒル魔はつい先刻まで愛用のWAIOで自国代表選手たちのデ
ータを纏めていたが、PCのデジタル時計が開始時刻を回ったところでWAIOを仕舞った。
アメフトのユースワールドカップも史上初ならば、この二日に跨いで設定された記者会見も異例だった。しかも、初日の会
見は代表選手二人のみで、主催のモーガンの会見は二日目。開催の経緯はプレスリリースで発表されているとはいえ、いくら
何でもまず主催側からの説明があるべきだろう。インパクトを重視したのか、王者は軽々しく出て行くものではないとでも思
っているのか。然程モーガンの人となりを知るわけではないが、恐らく後者だろうと当たりをつけて、ヒル魔は無糖ガムを取
り出した。
予定より30分ほど遅れて、会場内に、「お待たせいたしました。チームアメリカ、Mr.クリフォード・D・ルイスとMr.パトリ
ック・スペンサーの入場です」というアナウンスが流れた。騒めきが一気に静まる。下手の重厚な扉が、両脇に控えたボーイ
たちの手によってゆっくりと開かれていく。90度にまで開かれたところで、まずは黒尽くめのSPが、それから僅かに離れて、
獅子の鬣のような金髪が見えた。
途端、ビクリと体が震え、ヒル魔はうろたえる。何事だと驚く間も無く心臓が強く速く脈動し始める。それは痛みを伴うほ
どで、ヒル魔はスーツの上からそっと心臓を押さえた。連れて体温が上がり、舌の付け根から音がしそうな程唾液が分泌され
る。いくら空調が聞いている室内とはいえ、1月のニューヨークにもかかわらず汗さえ噴出すような気さえして、ヒル魔は堪
らずゴクリと唾を呑み込んだ。用意されたドリンクか、それとも空調に何か特殊なガスでも混ぜてあるのか、とさり気無く辺
りを見回すが、唐突な体調変化が自分だけであるのを確認して、では何故、と考えた。正面の会見席では、代表選手二人が並
んで座るところだった。それを――厳密には上手に陣取った金髪男を――視界に入れた途端、再びジュン、と唾液が溢れてく
るのを感じた。
アメリカ代表QB、クリフォード・D・ルイス。18歳、ハイスクール・シニア。この記者会見の為に収集した情報。その司令
塔様は、遠めに見ても分かるほど、周囲を凍りつかせる程の冷気を身に纏っていた。緩慢な動作で質の良い椅子に腰を下ろし
、その視線を記者席に向けた。焚かれる無数のフラッシュ。眩しさに、クリフォードが僅かに眉根を寄せる。ヒル魔は、視線
を外せなかった。その絶対零度の瞳から。
そして視線が交錯した。ヒル魔は、己の瞳が一瞬の内に潤むのが分かった。動けなかった。身体も、視線の一つも。交わっ
た瞳から、クリフォードが身体の奥深くまで入り込んでくる錯覚。熱は最早どうしようもなく、上気した頬は高熱に魘される
病人のようだろう。唾液は後から後から溢れてくるのに唇も喉もこれ以上無い程に渇いて、ヒル魔は薄く開いた唇から僅かに
熱を解放した。永遠にも感じられる何秒かが過ぎ、「それではアメリカンフットボール、ユースワールドカップの記者会見を
行います」という司会のアナウンスと共に視線を無理矢理剥がした。
熊袋の「全米2トップ」という発言にクリフォードが「俺が1トップだ」と猛っているのを遠くに聞きながら、ヒル魔は呼吸
を整えた。ただの風邪、で片付けるには不可解な点が多すぎて、頭を過ぎる恐怖をヒル魔は必死で追い払った。もう一度深く
呼吸をし、固く目を瞑ると、いつもの蛭魔妖一に戻した。
黒縁眼鏡を指で上げ、パンサーに質問を投げかける。迷い無くはっきりと、「小早川セナです」と返された答に甚く満足し
、また直接面識のあるパンサーでさえ変装を見抜けなかった事実が可笑しく、ヒル魔は笑みを浮かべた。
熱が燻る身体の奥底は疼いて止まなかったが、それも記者会見を終え、クリフォードが去ると徐々に治まっていったので、
ヒル魔は深く考えないことにした。
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翌日、記者会見の場はモーガン邸の無駄に広いガーデンへと移された。一月のニューヨークは平均最高気温5℃前後だという
のに、暖房が垂れ流されているプールサイドには椰子科の植物が何本も植えられ、熱帯の観光地のような錯覚を受ける。立食
パーティに仕立てられたプールサイドは、報道陣や関係者だけでなくモーガンと親交のある各界セレブリティたちも招かれ、
水着姿でパーティを楽しんでいた。
ヒル魔は記者ではなく、メイドの一人としてその場に潜入していた。「今日からお世話になります、スミス・ハウスキーピ
ング社のメアリー・ヒルマンと申します」の一言をメイド長はいとも簡単に信用し、ヒル魔に制服を寄越した。「その逆立っ
た髪はどうにかならないの」との苦言は呈されたものの、性別を疑われることは無かった。渡されたユニフォームは細身の黒
のワンピースに白いエプロン。ワンピースについた白襟やエプロンの袖の襞などはメイド長のものと僅かにデザインが異なっ
ており、一目で勤務年数が分かるようになっているのかもしれない。「笑顔を絶やさないように」と言う割りにメイド長は憤
けた表情で、「貴方は初めてだから今日はゲストのサーヴだけでいいわ。大事なプレスカンファレンスの日で著名人も多くい
らしてるから、失礼の無いように」と最後に念を押してヒル魔の背を押した。
プールから出たモーガンにバスタオルを差し出したところで、パンサーに気付かれた。無理も無いだろう、昨日の記者会見
とは違い伊達眼鏡も無ければ髪型もいつものままだ。メイド服を纏っているとはいえ、気付いてくれと言わんばかりの格好。
ゴホゴホと胸を叩いて噎せるパンサーが愉快で、ヒル魔は声を出さずに笑った。すぐ傍に立つクリフォードは、目に入れない
ようにした。
トレイに乗ったドリンクを全て配り終え、空いたグラスを下げる振りでパンサーに近づこうとした時、「そこの可愛いメイ
ドさん」と言う声が背後から聞こえた。あーあ、糞面倒臭ェ、でも俺は可愛くもねぇし実際はメイドでもねぇし、と胸の内で
毒づいて、ヒル魔は無視を決め込み歩を進めた。
「ねぇってば!」
がし、と肩を掴まれ無理矢理振り向かされた。目の前には、鍛えられた太い首。視線を上げると、男臭い端正な顔があった
。ダークブラウンの瞳に同色の肩まで伸びたストレートヘア。剥き出しの上半身は筋肉の鎧で覆われていて、並みのスポー
ツ選手よりもずっと鍛えられているのが分かる。今話題の若手俳優、つい数ヶ月前アメリカで大ヒットを記録したテレビドラ
マにも主演していた。そんな男が、ワザワザ腐るほど居る水着姿の女共の中から男である自分を選び出したのか。その濃茶の
瞳で見つめれば大抵の女は落ちるであろうに、審美眼が腐っているとは哀れなことだ。ヒル魔は思い、女に似せた少し高めの
声で「如何致しました?」と返した。
「トイレに行きたいんだけど、案内してくれるかな?」
捻りも何も無い誘い文句だな、とヒル魔は思った。脳内脅迫データベースから、目の前の脂下がった面を引き出す。成程、
次回作ディレクターの妻と不倫とは、余りにベタでピクリとも笑えない。もし力技に出られたらいくら鍛えた身であれ逃れ
る事は難しいかもしれないが、脅迫材料をチラつかせれば何とかなるだろう。あわよくば新しい情報や脅迫ネタを仕入れる事
が出来れば万々歳だ。
「はい、こちらでございます。」
ヒル魔は努めて丁寧な物腰で案内した。さり気無く腰に回された手も、後数メートル、室内に入るまでの辛抱だ。しかしそ
の若き誑し俳優は、室内へ続く扉を待たず、二人がパーティブースから死角に入ったところで後ろからヒル魔を抱き竦めた。
「ちょっとだけ、遊ばない?」
腰をヒル魔の尻に擦り付け、耳に息を吹き込むように囁く。下衆張った誘い方だ、ナンパなどした事がないヒル魔ですらそ
う思う。こんな男に引っかかる女など、余程頭か顔のレベルが低いに違いない。
「お手洗いはこちらを入って右に進んだ所にございます。」
「ごめんね、トイレに行きたいわけじゃなかったんだ。君と二人になりたかったんだよ。」
もうここまで移動すれば気にする人目も無い、大人しい振りをするのも面倒になってヒル魔は男の腕を振り解いた。見掛け
によらず力がある、とでも思っているのか、少し驚いた様子の男を見て、ヒル魔はケケケと笑った。
「そうやってディレクターの奥さんも誘ったんデスカ?」
男の顔が凍りつく。目を丸くし、口をパクパクとさせた後、フ、と鼻で笑った。
「何の話だ?」
「あんたの話だよ。Mr.糞リチャード・サンドバーク。」
「脅してるのか?そんなハッタリ、通用すると思ってるのか?」
「ハッタリかどうか、確かめるか?」
「ハ、仮に本当の話だとして、ただのメイドが言うことを誰が信じる?」
「ただのメイドなら、な。今のご時勢、インターネットっつー大層便利なモンがあってなァ。…どこぞのパパラッチから
ディレクターのトコに垂れ込みメールが行ったら、どーなっかなァ?」
「く……何なんだよ、別にここで一発ファックしたって、アンタにとっても何の不都合もねぇだろ?俺上手いぜ?天国見せ
てやっからさぁ。」
「んなモンに興味はねぇ。欲しいのは情報だ。テメーが今そこで記者会見やってる、アメフトワールドカップユースのアメ
リカチームについて、知ってること全部吐け。それで垂れ込みはなしだ。」
男の顔が疑問に歪む。そして十数秒ヒル魔を嘗め回すように見つめると、「いいよ、垂れ込めば?」とのたまい、今度は正
面からヒル魔を抱き締めた。「糞、盛りのついた犬かテメーは!」ヒル魔は吐き捨て舌打ちをし、ワンピースをたくし上げサ
イホルスターのコルト・パイソンに手を掛けた。男だとばれると少々面倒だ。
「失礼、ヴァージン・メアリーをもう一杯頂きたいんだが?」
その時、芯の通った声が辺りに響いた。ビクン、とヒル魔の身体が跳ねる。ドクドクと脈打ち始める心臓。身体中でアラー
ムが鳴り出す、デジャヴ。ヒル魔は咄嗟にスカートを下ろし、コルト・パイソンを隠した。男はクソ、と舌打ちをして、ヒル
魔を突き放しそそくさと戻って行った。
「…邪魔したか?」
声の主は、クリフォード・D・ルイス。
「いいえ、助かりました。ありがとうございます。」
高めの声と貼り付けたような笑みでヒル魔は返した。再び、交わる視線。それは濡れた細い糸が絡まったかのように、解き
難い。今度は昨日と逆に、自分がぐずぐずに溶けて向けられた青い瞳からクリフォードの中に入り込むような錯覚に陥る。貼
り付けた笑みはいとも簡単に剥がれ、ヒル魔の唇が言葉を紡ごうと開かれた。
「あ、いたいた!クリフォード〜!って、え?!ヒル」
魔、と言い終える前に、パンサーの顔面に向かって銀色のプレートが飛んできた。
「わぁっ!…っぶねー…って、あ、えっと〜」
「申し訳ありませんスペンサー様!私ったら手が滑ってしまって!お怪我はありませんか?」
幸いにも、パンサーの方に向いていたクリフォードは、メイドの手からパンサーに向かってプレートが投げられるのを目撃
しなかったようだ。ヒル魔は慌てた風にパンサーに駆け寄り、小声で「言いやがったら殺す」と制した。パンサーはヒル魔の
その視線にぶるぶると身を震わせ、三倍再生のようなスピードでコクコクと何度も頷いた。
「スペンサー様も、サマー・デライトのお代わりお持ち致しますね。」
ヒル魔はたった今パンサーに向かって投げたお盆を両手に抱えると、キッチンに向かって早足で去った。
「…パンサー」
「な、なに?クリフォード」
「今のメイド、昨日のプレスカンファレンスに居なかったか?」
「え、えっと〜……分かんないけど、昨日はお手伝いさんはボーイだけだったと思うよ?」
「…そうか、そうだよな。いや、なんでもねぇ。」
いつもなら、パンサーの挙動不審さを追及してくる筈のクリフォードは、あっけなく引き下がった。いや寧ろ、クリフォー
ドの方が不審であった。メイドが去った方向をじっと見つめ続け、溜息まで吐く始末。それはいつものクリフォードから余り
にかけ離れた姿で、「戻るか。」と呟く彼に、パンサーは「戻ってもあのメイドはもう来ないと思うよ。」とは言えなかった。
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折角妊娠できる設定なので、ヒル魔さんには発情期になってもらいました。動物か!
34巻を今貸し出していて手元にないので原作とずれてないか不安です。
35巻のヒルメイドを読み直していて、ヒル魔さんの脛がツルッツルで愕然。
いや、まさかな…メイド用白ソックスとか履いてますよね。ガーターベルトだと更に…っ!(鼻血)
いえ別に、ツルッツルの脛だからって嫌なわけじゃないんですよ!ただビックリしただけで!
あ、でもデビルガンマンズの時もツルッツルか…。ひ、ヒル魔さぁぁああん!