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The Fame
2012.3.23 uploaded
03. You hear me?
 WRがボールをキャッチするより前に、わぁっという歓声がスタジアムを覆った。右手の人差し指を天高く掲げ、クリフォードは勝利を吼えた。三年連続となるBCSでのノートルダムの勝利に、マイアミの地は熱狂した。地元チームでなかろうがもはや関係なく、彼等五芒星――今は内三名であるが――は雄勁たるアメリカのアイコンだ。時間を数十秒残したまま決まった勝利に、選手、コーチ、スタッフは互いに肩を叩き合い、抱き合い、勝利に酔った。
 下馬評の予想通りMVPを受賞したクリフォードはしかし、勝利の歓喜を微塵も感じさせない鋭い眼差しでインタビューを受けていた。今回は例年とは違う。ヒーローインタビューという名の、プライバシー侵害だ。そして一通りの手順を踏んだ後、記者達は遠回しにこう尋ねた。
「今のお気持ちを一番に伝えたい方はどなたですか?カメラに向かってどうぞ。」
 リポーター達は皆、リサの名前が出てくるに違いないと期待に目を輝かせていた。ふざけやがって。
 しかし、たった今、戦いは終わったのだ。クリフォードは再びヒル魔の上るべき頂点に、玉座に座する者として君臨した。フットボールという足枷が取れた今、もはやクリフォードを縛り付けるものは何も無い。クリフォードは暫し考え、正面のカメラを見据えて言葉を発した。

「…サニー、俺が次に切るカードは分かるな?テメェは逃げも隠れも出来ねぇ。分かってねぇみてえだが、これはそもそもラブゲームじゃねぇ。……分からねぇなら、思い知らせるだけだ。俺が勝負所じゃ絶対退かねぇ大バカ野郎だってことをな!」

 唖然とする記者達を置いて、クリフォードはロッカールームへと下がった。
 一拍置いて、「サニーというのは誰ですか?!」「今のメッセージのお相手とはどのようなご関係で」「リサに何か一言!」「待ってクリフォード!」「ミスター・ルイス、もう少しだけ」と嵐のように質問が浴びせられる。俄然騒がしくなった報道陣を背に、クリフォードは不敵に笑った。


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 わぁっ、という歓声が東京ドームを揺り動かした。ここ数年、アイドル桜庭の活躍やユース・ワールドカップ開催などでアメリカンフットボールという競技は一気にその知名度を上げ、学生リーグを中心として異様な程のブームとなっていた。東京ドームは超満員。学生アメフト群雄割拠と言われるこの時代に、ライスボウル二連覇というそれは、言葉にするよりも重い勝利であった。
 鳴り止まぬ歓声の中、フィールドを後にしたヒル魔は、ロッカールームへと続く通路の奥にこの場にそぐわぬものを見た気がして歩みを止めた。
 それは凡庸な一人の男だった。背は高く、しっかりとした体躯ではあるが、乱れた茶髪や口髭、使い古したブルージーンズとスニーカーが男の存在感を霞ませていた。何処にでもありそうなカーキのダウンジャケットや黒縁の楕円形の眼鏡も、地味な印象を強くするだけだ。凱旋して来る選手達や報道陣が放つ高揚感の中で、その男だけが別の絵画から切って貼ったような景色だった。男も勿論ヒル魔に気付き、力強い歩みで立ち止まったヒル魔の元へ向かって来た。

 ヒル魔は一年前のクリスマスを思い出していた。初めてこの男のこの姿を見た時のことだ。あれは空港だったが、今と同じように人混みで、今と同じように男がヒル魔に向かって来ていた。その平凡過ぎる変装がいつもの不遜過ぎる態度とは余りにかけ離れていて、可笑しくて可笑しくて笑いが止まらなかったものだ。
 しかし今、あの時と変わらぬ姿を見ても、込み上げてくるのは可笑しさではなく、緊張と安堵と僅かな恐怖で、ヒル魔はもう殆ど味のしなくなったミントガムを噛むことすら出来なかった。
 男はヒル魔の前まで来ると立ち止まり、ヒル魔の深い黒の瞳を射抜いた。今ここにこの男が居るということは、オレンジボウルを終えてすぐに来日したということだろう。最後に見た、ヒーローインタビューでの台詞が蘇る。
 次に切るカード、そんなもの、サルでも分かる。
 繋がらない電話、オレンジボウル勝利。もうBCSという枷もないならば、会いに来るという選択肢しか残っていないではないか。
 男の碧い瞳に映る苛烈な怒りは、二人の関係と、彼自身を蔑ろにしたヒル魔に対する怒りだろう。しかし、その焦がすような憤怒とは裏腹に、ヒル魔を見つめる瞳は時折不安と焦りを湛えて揺れ動いた。汗が冷めてきたのか、ヒル魔の背筋をぞくりと寒気が走った。
 そこの段に来て漸く、立ち止まり睨み合っている二人の異様さに気付いたのか、二人の周囲の喧騒が止んだ。
「ヒル魔?」
 声を掛けたのは赤羽で、その赤い瞳には心配そうな表情が浮かんでいた。ヒル魔は男から視線を外すと、赤羽に向き直り、
「…急用だ。反省会と打ち上げには出ねぇ。糞クマ野郎にもそう伝えとけ。」
 とだけ言った。クマ野郎、とはウィザーズの監督だ。入部以来、ヒル魔は彼のことを見かけ通りの渾名で呼んでいた。
 赤羽は、ヒル魔と対峙していた長身ではあるが眼鏡に髭という冴えない風貌の男をじっと見ると、やがて驚いたように目を見開いた。そしていつものようにフー、と溜息を吐いてから、「分かった、伝えておこう。」と返した。ヒル魔はそのままロッカールームの扉を開け、未だ射るように見つめてくる男には視線すら流さず、「五分だけ待て。」と扉の向こうに消えた。


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 バタン――小さく音を立てて扉は閉まった。
 先に入り、部屋の中央へ歩み出ていたヒル魔を、夕闇の群青が包み込む。クリフォードもゆっくりと後を追い、背を向けたままのヒル魔の項に滲んだ汗が小さく光るのを、ただじっと見ていた。
 初めて日本を訪れた時も、このホテルだった。ただし、あの時はお忍びではなかったから、ブラフのために最上級のスイートを取った。この部屋よりもずっと上階で、眺望した東京の夜景も今よりも小さく、まるで世界から二人だけが隔離されていたかのように感じた。あの頃は目の前の存在を手に入れるのに一生懸命で、こんな風に憎悪に近い程の怒りを感じたり、不安に押し潰されそうになったり、大切過ぎてどうしていいか分からなくなったりと、こんなにも深く多くの感情を感じるなど、夢にも思わなかった。
 クリフォードが呼びかけようと口を開くと、タイミングを計ったかのようにヒル魔が振り返った。

 言葉は少しも出ては来なかった。言いたいことはたくさんあった。なぜ電話に出ない、あの女とは何もない、俺の言うことが信じられないのか、浮気する程軽い気持ちでテメェと三年も付き合ってたと思ってんのか、俺から逃げるつもりだったのか、俺の気持ちは一つも考えなかったのか――文句も主張もたくさんあった、それなのに。
 何時もは鋭く光る漆黒の瞳が、頼りなく揺れ、けれどクリフォードの瞳から視線を逸らせないでいるのを見ると、浮かんだ言葉のどれもが無意味に思えた。結局自分は、責めたいわけでも、自分の気持ちを押し付けたいわけでもなく、ただ大切にしたいだけなのだ。目の前の存在を。
 クリフォードは進み、ヒル魔の身体をかき抱いた。米神の辺りに鼻先を埋め、深く息を吸い込む。途端、頭の先から身体中を満たしていく紛れもないヒル魔の匂いに、身体の強張りが解けていくのを感じる。腕を広げて欲しい、その胸に迎え入れて欲しい、蛭魔妖一という人間が、自分の帰る場所であればいい。今の今まで抑え付けられていた感情が一気に身体の内から溢れ出、それら全てが、抱き締めたヒル魔の香りに霧散して行った。今の今まで、自分が緊張に息を詰めていたことを知る。腕の中の存在を、失ってしまうかもしれないという恐怖と焦燥から。
「…ヨーイチ……I love you…been lovin’ you.」
 この感情を何というのか分からない。たくさんの背反する想いにどうすることも出来ず、それでも今この腕の中にヒル魔が居るという事実に、クリフォードは生まれて初めて跪き神に祈りたいと思った。
 抱き締めた腕の中、未だ固さが取れなかったヒル魔の身体が徐々に緩み、やがてクリフォードの背におずおずと両手が回された。立ったままの金糸が頬を擽り、ヒル魔もまた、クリフォードの肩口に顔を埋めたことを知る。次いで耳を擽った小さな呟きに、クリフォードは我が耳を疑った。
「っ!……サニー?今なんつった!?」
 驚きに身体を離そうとしたクリフォードを、背に回ったヒル魔の両腕が引き止めた。
「……知ラネー。」
「小さくて聞き取れなかった。もう一回」
「何つったか忘れた。」
 少し尖った応えは何処までも甘く、クリフォードの顔を綻ばせた。肩に顔が埋められていて表情は窺えないが、尖った耳がうっすらと赤く染まる様に、ただ照れているだけなのだと知れた。抱き締めた手でヒル魔の背を撫ぜ、試合で少し乱れた髪を梳いた。この腕の中に在ることを、確かめるように。

 どちらも、件のゴシップについては一切触れなかった。二人にとって、それはもう問題ではなかった。会えない間、自身の想いを確かめ、そして漸く会うことが叶った今、お互いの想いを確かめるのが先だろう。
「サニー?」
 不安に潰れそうだった心の隙間を埋めるために。
 Let me love you.
 口唇に囁かれたクリフォードの言葉に、ヒル魔は目蓋を閉じ、これ以上無い程美しく微笑んだ。










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