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The Fame
2012.3.23 uploaded
02. Don’t talk to me.
 朝方、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。十二月の冷気に震えると、足元に暖かな温度を感じた。何でこいつがここに、と不思議に思って、すぐに自分が昨日連れ帰って来たのだと思い出す。年明け三日にライスボウルを控え、休みの間も毎日練習があるのだから、普段と変わらず部室に放置していてもなんら問題は無いのだが。帰んぞ、と言ったときの、ケルベロスの訝しげな表情を思い出す。


 マンションに帰り着き、半ば無理矢理風呂に入れ、晩飯を与え満腹にしてしまえば、ヒル魔の不可解な行動にも特に興味も無くなったのか、ケルベロスは革張りのソファの上で丸くなっていた。
 丸い塊の隣でラップトップを広げデータ分析をしていると、テーブルの上の携帯が震えた。途端、ビクッと強張ったヒル魔に、ケルベロスもどうした、と言わんばかりに目を開いた。震える携帯と固まるヒル魔を交互に見ては、取らないのか?と視線で問いかける。ヒル魔はただじっと動くことも忘れ、バイブの音が止み不在メッセージに切り替わるまで、ラップトップのモニターを見つめていた。それすらも完全に切れると、知らず詰めていた息を吐き出し、きつく目を瞑った。何も知らない筈のケルベロスはしかし、慰めるかのようにヒル魔の膝に乗り、鼻先を腹に擦り付けて来た。


 そして朝、目が覚めてしまったヒル魔の目の前で、再び携帯電話が着信を告げ、細かく震えた。サブディスプレイにはClifford. D. Lewisの文字。ベッドの上の枕元、数十センチしかないその距離すら越えられないでいるヒル魔に、いつの間に起きたのかケルベロスが歩み寄ってきた。出ないのか?やはりケルベロスは視線でそう問いかけ、ヒル魔の胸の辺りで再び丸まった。
 着信を告げる赤いライトと止まらない振動に、ヒル魔はとうとう、寒さからではなく震える手で携帯を開いた。通話ボタンは、押さずに。
 更に続いた数回のコール音の後、自動メッセージが流れ、留守番機能が作動する。それすらも切れ、ディスプレイが常の待ち受けに戻ると、ヒル魔はほっとしたようにたった今録音されたメッセージを再生した。

『……サニー?……ヨーイチ………出てくれ…。』

 思いの外弱々しいその声に、喉の奥がぐわっと熱くなり、ヒル魔は温かなケルベロスの毛並みに顔を埋めた。

 何故ここまで頑なになるのか。ヒル魔は自分でも分からなかった。あれは嘘だと分かっている。もしもクリフォードが本当にあの女と少しでも関係を持っているのならば、敢えて否定したり隠すことはしないだろう。むしろ、真実であるないにかかわらず、自分の周りには常に女が取り巻いているのだと、そう周囲に知らしめた方がよほどハッタリになるだろう。周囲がそれで畏れるのならば、血統すら偽る男だ。だから今回の件は、クリフォードの意図するところではなく、クリフォードの言うように、事実ではないのだろう。余裕を失い、怒りすら露に、あんなにも必死になるクリフォードを、ヒル魔は見たことがなかった。つまりは、クリフォードはそれだけヒル魔に対して本気なのだろう。
 今回の一連の騒動はあのイカれた女優の狂言。それは分かっている、頭では。しかし分かってはいても、割り切れない、いや、釈然としない、その表現が一番しっくり来る。これはクリフォードの問題ではない。自分の問題なのだ。流されるままにクリフォードと付き合い、その腕に閉じ込められ、微温湯に浸され、吐き気がする程の安穏を与えられ。ずっと見ないようにしてきた、自分自身の気持ちと、向き合わなければならないのだ。
 動揺している。クリフォードが浮気をしたかもしれないというニュースに対してではなく、その報道に僅かでも傷ついた自分の反応に対して。拭えない、黒い靄で胸を覆われたような不快感。頭から、クリフォードに腕を絡める女の姿が離れない。「昨日お医者様に行ったの。私妊娠してるんですって。ここに彼のベイビーが居るのよ。彼、一生大事にすると、そう約束してくれたわ。きっと男の子でも女の子でも、綺麗で強くてスポーツ万能なベイビーが生まれてくるに違いないわ。」
 そうだ、クリフォードが何をトチ狂ってんのか知らねぇが、テメーが別れると言えば、全て丸く収まんだろ。結婚して子供生んで、ガキもNFLのトッププレーヤーになって、ルイス二世だと騒がれる。分かんだろ、テメーじゃ逆立ちしたってそりゃあ無理だ。その囁きは、絶えず脳内でヒル魔が自分自身に問うているものだ。靄でそのまま心臓を絞められているような、痛いような吐きたいような。
 これが嫉妬というものなのだろうか。理性と感情とが切り離されたようで、ヒル魔は自分自身を蜂の巣にしたい心地だった。
 クリフォードが好きだ。言葉にしてしまえば、たったそれだけのこと。頭では理解しているのに、それを受け入れられない。何故。クリフォードは自分を好きで、自分はクリフォードを好きだ。ただそれでいいじゃないか。なのに、腕を広げられ、この手を取れと手を伸ばされているのに、足が竦み動けないでいるのは他でもない自分だ。
 自分がこんなにも臆病な人間であることを、認めたくなかった。好きだと認めてしまったら、幸せだと認めてしまったら、いつか訪れる別離を、自分は耐えられないかもしれない。どうせ失うものならば、はじめから手にしない方が痛みも少ない。無意識の深くで、そう感じていることすら、認めたくなかった。
 ヒル魔自身が望んで傍に居たいと思った人間は、悉くヒル魔のもとを去った。喩えそれが悩んだ末の不本意な苦渋の決断であったとしても、結果だけ見れば同じだ。傍に居たかった。手を伸ばした。けれど叶わなかった。数年の時を経てそれが解消された今となっても、悲しみと恐怖だけが刷り込まれているのだ。
 たったそれだけのことに傷ついていたのだと、認めることすら出来ないのか。自らが思うよりも己の矜持は強かったらしい。自分の奥深くでは、まだ分別の無い幼い自分が大声で泣き喚いているらしいのに。
 いずれにしても、このまま逃げ続けるわけにはいかない。クリフォードはとっくに全てを曝し、ヒル魔に捧げているのだ。いつまでも見てみぬ振りは出来ない。そろそろ覚悟を決めるべきではないのか。腹を括って向き合うべきではないのか。自分自身の想いと、弱さに。

 ライスボウルが終わったら、クリフォードと、否、自分自身と、決着をつけなくてはならない。










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