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The Fame
2012.3.23 uploaded
01. Please talk to me.
「Shit!!」
 普段は感情を露にしない男の、低い罵声が響いた。きつい練習を終えユニフォームから私服に着替えていた選手達は、その呟きに 溜息を吐く者、有名人は大変だよなと憐憫の眼差しを向ける者、触らぬ神に祟りなしと我関せずの体を装う者など各々様々な反応を 返した。
 名門ノートルダム大学、フットボール部。ポストシーズン、元旦に行われるBCS(ボウルチャンピオンシップシリーズ)の 一つ、オレンジボウルに向けて自スタジアムで練習が行われた今日、目前に迫ったチャンピオンシップの緊張感とは違う種のピリピリ とした空気がロッカールームに満ちていた。それというのも全て、正QBであるクリフォードの熱愛報道のせいだ。


 熱愛、極秘恋愛、今最もホットなカップル…エトセトラエトセトラ。報道は日に日にその熱を増すばかりで、クリフォードの否認な ど焼け石に水だった。渦中のクリフォード本人だけではなく、リサをクリフォードに紹介したとされる若きハリウッドスター、バッド ・ウォーカーも、写真が撮られた時その場に居たとされる他の五芒星三人も、挙ってそのような事実はないと否定したが、当事者であ るリサが「クリフがあなた方パパラッチに追われないようにするための嘘よ。どういう理由があって彼が私たちの関係を隠したがるの か分からないけど、私には何も隠すことなんてないわ。クリフと付き合っていることを誇りに思っているもの。」挙句、「なんだか最 近熱っぽくって、すごく眠いのよね。もしかしたら私、ママになったのかしら。」等と虚言するものだから、クリフォードの苛立ちも 無理のないものだった。
 リサが何故このような馬鹿げた茶番を始める気になったのか、クリフォードには一欠片の興味も無いが、大方どこの馬の骨とも知れ ない輩とガキをこさえた挙句、堕胎出来る時期を過ぎてしまったのでクリフォードを腹の子の父親に仕立て上げることを思いついたの だろう。パパラッチを利用し、大衆を味方につけて。例えそれが嘘であろうと、噂を聞いた内の何割かは妊娠したリサに同情し、責任 をとろうとしないクリフォードを責める筈だ。そして絶対数が多ければ多い程、リサに味方する人口も増える。
 全く狡いやり方だ、とクリフォードは考えれば考える程腹が立つ。常日頃マスメディアの力を利用しているクリフォードは、この下 らないゴシップを否定することの無意味さを悟っていた。結局のところ、マスコミにとってはその情報が真であれ偽であれ構いはしな いのだ。視聴率が上がり、新聞が売れ、雑誌が売れるのならば、セレブ一人の私生活がどうなろうとも知ったことではない。それがパ パラッチの生きていく手段だからだ。購読層に関してもそうだ。本当か嘘か、よりも、面白いかどうか、が重要なのだ。クリフォード が王族であるというハッタリをも鵜呑みにした国だ。そしてクリフォードが王族で通っているからこそ、今回の熱愛報道や妊娠疑惑が 大変なスキャンダルに成り得るのだ。
 つまり、これを否定すればする程――例えば大統領子息であるドンの力を持ってするならば、全ての報道に規制をかけることも可能 であろうが、そのようにクリフォードサイドが大きく動けば動く程、それだけこの件はクリフォードにとって揉み消したい『事実』な のだと人々は捉え、事の信憑性を増してしまうからだ。People have short memories.(人の噂も七十五日)と言うように、この 手の騒ぎは放置するに限る。それが分かっているからこそ、ドンを筆頭にクリフォードサイドは、大きく騒ぎ立てることをせず訊かれ た質問に対して否定を示すだけに止めている。ただし双方のファンの暴走が無いとも限らないので、念のためSPを数人付けてはいた が。この不景気に、経済の話題よりも若造二人の恋愛模様の方が日々のスパイスになるというのだから、全く大した国だと、クリフォ ードは自国に向かって唾を吐きたい思いだった。
 しかし、クリフォードを今苛んでいるのはこの下らない騒動そのものではなかった。このゴシップが報道されてから後、本物の恋人 である蛭魔妖一と、連絡が取れなくなった。長く続くコール音の後のお決まりのメッセージ。何回、何十回となくかけても、ヒル魔が クリフォードからの電話に出ることはなかった。


「んな騒ぐ程のことか?いい女じゃねェか、リサは。別にアッチがいい、っつってんだから、モノにしちまえばいいんじゃねぇ? そんなに今の女が具合イイのかよ?……ったく、いいよなー、天才QB様は。よりどりみどりで。」
 何の気なく冗談交じりにそう言ったのは、四年の控えDE(ディフェンスエンド)であるサムだ。いつもなら、雑魚の戯言、どんなに 安価で売られた喧嘩も買うクリフォードではないが、この時ばかりは違った。ブンブンと飛び回る耳障りな虫けら共(パパラッチ)に 苛立ちは最高潮に達し、何もかもうまくいかない物事に余裕を失っていた。普段なら歯牙にもかけない軽口にたっぷりと含まれた悪 意を感じ、蓄積した鬱憤が爆発した。

「ハッ!あの糞ビッチの何処がいい女だって?要らねぇモンいくつ持ってたって邪魔でしかねぇだろ。欲しくもねぇモンあっちもこっ ちも?んなことしてたら本当に大事な奴抱えていられねぇだろうが。あぁ、そうか、分かるわけねぇよな。テメェは何かを本気でを 手に入れてぇと思ったことがないんだから。可哀想に。……だからいつまで経ってもテメェは二流のフットボウラーなんだよ!」

 一瞬で空気が凍りつく。クリフォードの周囲だけが、不気味な程に凪いでいた。
 暫し時は止まり、そして唐突に動き出す。嵐と共に。
「……っんの糞野郎!」
 罵声と共にサムがクリフォードを突き飛ばした。ポジションの違う黒く巨大な身体に易々とクリフォードは背中から床に沈められる。 着けたままのプロテクターが派手な音を立てた。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ!エースQBだか何だか知らねぇが、人を馬鹿にすんのも大概にしろよ!」
 ロッカールームには練習後のミーティングを待って百人超の部員全員が残っていたが、水を打ったように静まり返っていた。 クリフォードは俯いたままゆらりと立ち上がると、ゆっくりとサムの方へ歩き、そしてその巨体の胸倉を掴み上げた。
「本当のことを言われて逆上したのか?俺が羨ましくて文句垂れてる暇があるなら戻ってタックルの練習でもしてろ。……それから、 今度俺の恋人を蔑むような言葉を口にしてみろ。二度とフットボールのユニフォームに袖が通せなくなると思え。」
 クリフォードの目は完全に据わっていて、サムは自分より一回り以上小さな身体に掴まれたまま、ビクリと震えることすら出来なか った。その様は、やれ王族だ王子だと騒がれている普段の姿からはかけ離れていて、荒んだ夜の街の若者を髣髴させた。冷や汗が流れ、 数時間にも感じられる数秒。誰もが視線すら向けられずにいる中、痛い程の冷たい静寂を破ったのは、覇者の一声だった。
「…クリフォ〜ド、五月蝿く飛び回る虫けらどもに気が立つのも分かるが、少し気を静めたらどうだ?王者たる者、常に泰然とあるべ きだろう?」
 ドンは皆が凍りつく中、悠然と歩みを進め二人の間に立つと、サムを掴んだままのクリフォードの手を掴み、ゆっくりと下ろさせた。
「今争って問題でも起こせば、チャンピオンシップへの出場が危うくなる。それを一番悲しむのは、お前のsweetheartではないのか? クリフォ〜ド。……尤も、問題が発覚したところで、試合に出られなくなるのはお前ではないと思うが。」
 ドンのその言葉にぞっとしたのはサムの方だ。クリフォードは手を離した後も暫くサムを睨みつけていたが、やがて興味をなくした かのように踵を返した。そのままユニフォームを着替えることもせず、クリフォードは荷物を纏め凍えるロッカールームを後にした。
 頃合を見計らって訪れたコーチ陣には、タタンカからクリフォードが体調不良で早退した旨が伝えられた。


******************************


 カシャカシャと鳴るフラッシュの音、伸ばされるマイク、リフレインする「リサとの関係について一言」の言葉。しつこいパパラッチを振り切るSPと、態とらしくそれに悲鳴を上げるパパラッチ。それらを渾身の力で振り切って、ようやく自宅の扉を開けた。誰も居ない、大学生が一人住むには大きすぎる家。

 寒い――

 未だ止まない外のざわめきに、自分が思いの外疲弊し切っていることを知る。連日時間も場所も問わずパパラッチに追い回され、テレビをつければイカれた女のコメントが飽きる程流れている。なのに、聞きたい声は聞こえない。
 自分はこれ程までに弱かったのだ。じわじわと、身体を満たしていた物が流れ出ていく感覚。五芒星と呼ばれ、トップランナーと呼ばれるエースQBでも、一人の人間であったらしい。たった一つのピースが欠けるだけで、この有様だ。
「ヨウイチ…」
 呟く言葉は儚く空気に溶けた。
 何もかもをかなぐり捨てて会いに行こうと、幾度思っただろうか。シーズンを終え、チャンピオンシップまでは練習のみとなるこの時期、何日か日本に滞在したところで問題は無いだろう、と。しかしそれを実行に移すことはなかった。それはチームのためなどではなく、そのような暴挙に出たら最後、ヒル魔は自分に見向きもしなくなるだろうと思うからだ。どんな状況下でも、ヒル魔にとってはアメフトが最優先事項。そしてクリフォードは、ヒル魔にとって、辿り着くべき最後の強敵で在り続けなければならない。その最強の敵が練習をサボって自分に会いに来るなど、アメフトだけでなくヒル魔をも愚弄するような態度を取ったならば、ヒル魔はクリフォードを許しはしないだろう。
 悴む指を動かし、短縮ナンバー001を押す。アメリカから日本へ、国番号も登録してあるそれは、短縮などなくとも頭の中に刻み込まれていた。今頃日本は早朝だろう。ランニングでもしていなければ、恐らくは自宅に居る筈だ。縋るような思いで、クリフォードは長く続くコール音を聞いていた。そして、聞き慣れた日本語の留守番メッセージ。
 リサとはなんでもない、本当に初対面だった、その場には他の五芒星も居たんだ、お前と付き合ってから、浮気なんて一度もしていない、お前だけだ、お前しか要らない…そんな台詞も最初の十数回で入れるのを止めた。そしてそれ以降、録音時間が過ぎ自動的に電話が切れるまで、何も言わずただ待ち続けた。ヒル魔が、痺れを切らしていつか出てくれるのではないかと淡い期待を抱いて。しかし、数秒、数十秒経ってもクリフォードの黒い携帯電話は黙したままだった。
 逃げるつもりか、この俺から。クリフォードは憎しみにも似た怒りが内臓を焼き焦がすのを感じていた。何故、伝わらないのか。言葉でも、態度でも、示してきた筈だ。好きなのだと。大切なのだと。お前だけなのだと。あのワールドカップから、三年という年月を費やして。
 クリフォードには容易に想像出来た。「テメェ元々ストレートだろ、目が覚めて良かったじゃねぇか。今迄のことは、若気の至りだと思って無かったことにしてやるから、ガキでもこさえてフットボウラーに育てろよ。」さも愉しそうな表情で、けれど瞳は泣いたまま、そうほざくに違いないのだ、あのバカは。クリフォードがどれだけ欲しがっているかなど、考えもせずに。否、知らない振りをして。

 畜生、畜生――!

 会いたい。会ってこの腕の中に閉じ込めたい。耳元でいつものように糞、と毒づきながら、甘く掠れた声でセンセーと呼ぶ声が聞きたい。楽しげに笑う薄い唇を、普段は鋭く立てられた実は柔らかな髪の毛を、器用に銃を操る細く長い指を。クリフォードは思い出すように目を瞑った。出ろ。出てくれ。頼む。息が上手く出来ない。叫び出したい。これが、寂しいという感覚なのだろうか。こんなにも女々しい感情が自分の中に在るなんて、今の今まで知りもしなかった。初めて、自分の中の何もかもを共有したいと思った相手だ。共に居て得をするからじゃない、快楽を与えてくれるからじゃない、ただ共に在りたいだけだ。
「……サニー?……ヨーイチ………出てくれ…。」
 名を呼ぶだけで、間近に、遠く離れている筈のヒル魔の心音を感じた。
 俺は今、泣きたいのだろうか。

 ツー…ツー…と、通話が切れた音がした。










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