「ジョー、そんなところで足止めしてないで、中に入ってもらいなさい。外は寒かっただろう。」
先に部屋に入ったクリフォードを無視して、穏やかな低い声がジョーとヒル魔にかけられた。直後、その言葉に従うように、扉の向こうから大きなブラウンの毛の塊がのっそのっそと近付いて来て、ヒル魔の周りを一周した。足元の臭いをクンクンと嗅ぐと、早く中に入れと言うようにヒル魔の脹脛を鼻先で押す。
「アレックス、この人がヨーイチ・ヒルマだよ!アレックスも会えて嬉しいよね!」
アレックス――アレキサンダー、という名前か。この糞ゴールデン・レトリバーは。毛並みは美しいが、緩慢なその動きに、ヒル魔はもう彼が若くはないのだと知る。恐らく、クリフォードと共に年を重ねて来たのだ。遊びたい盛りのジョーの相手をするには、骨が折れるだろう。
「そうよ、もうディナーも用意できてるわ。冷めないうちに食べましょう。」
「はぁいマム!…ミスター・ヒルマ、こちらへどうぞ。」
差し出された皮のフットボールを受け取りきらないうちに、ヒル魔は右手をジョーに取られた。厳密には、人差し指と中指を。小さな手はまだ柔らかさが残り、ヒル魔のそれよりも随分と温かかった。大きさに見合わず掴むその強さは存外に強くて、時折ヒル魔を振り返りながら駆け足気味に導いていく。彼の歩調に合わせてぴょこぴょこと跳ねる短めの猫毛は、クリフォードよりも僅かに色が濃かった。
広々とした玄関。高い天井。敷き詰められた薄茶の絨毯。その上を土足のまま歩くことに日本との距離を感じる。廊下とリビングの境には段差がなく、そこを引き摺られるまま踏み入れば、一気に増す光量、暖気。そして耳を撫でる、弦が優しく弾(はじ)かれる音。
「遅かったじゃないか。どこでゆっくりしてたんだ?」
声はヒル魔が今までに聞いたどれよりも深く透明で、辟易するほど甘ったるかった。咄嗟に声の主を辿ると、アイボリーのソファーの上、ずるずると半ば寝そべるように座る少年が見えた。肩を越え背の半ばまで伸びた髪は真っ直ぐで、クリフォードよりも薄いプラチナブロンド。暖色の照明を反射して光輪を作り出している。細身の体はけれど引き締まっていて、手足は長く伸びていた。そしてその長い腕の中に、黒と真紅のグラデーションに塗られたアコースティックギターが見えた。
ヒル魔は、その人物を知っていた。昨秋鮮烈なデビューを飾った若き天才シンガーソングライター、レオナルド・S・ルイス。その容貌から『王子(プリンス)』の二つ名を持ち、歌いながら奏でるピアノやギターは超一流。16という若さにしてどこから出しているのかというほど、歌声は甘く切なく、本国アメリカを中心に世界中の人々を熱狂させている。来季グラミーの主要四部門総嘗めも夢ではない、と批評家の間でも話題を攫っている。興味は無くとも入ってくる彼の情報。それだけ彼のメディアへの露出は激しい――クリフォードとの繋がりは、未だ伏せられているようだが。
「どうせクリフがモールのキッシング・ボールにでも寄って来たんでしょ。家だとアタシ達に邪魔されるから。」
二番目の声の主は、そのすぐ近く、ソファの後ろに立つ少女から。高い位置で一つに結い上げた長いハニーブロンド、分けた前髪から覗く力強い猫のようなブルーアイズ。プロポーションを強調するような、フード付のパーカーにミニスカート。細いが、筋肉で張っている手足。なるほど、チアリーダーだ。それもおそらくヒエラルキー上位、クイーン・ビーと呼ばれる類の。
「??キッシング・ボール??誰か良い人でも出来たのかいクリフ?」
今度はソファの向かい側から、先程聞いた、低く穏やかな男性の声。見れば、恐らくヒル魔に近づこうと立ち上がったのだろう、体はヒル魔に向かったまま、きょとん、と首だけをクリフォードに向かって傾げていた。プラチナブロンドにはシルバーが混じり、ノルディック柄のカーディガンと大きな瓶底眼鏡が不釣合いな。彼は、そう、情報工学者、もといウィザード級のハッカー、ロバート・C・ルイス――クリフォードの父親だ。
「はぁ?!もうパパ本気で言ってるの?クリフが『オトモダチ』を連れてきたのよ?あのまともな人付き合いが出来ないクリフが、よ?しかもクリスマスに!う・ち・に・連れてきたのよ?」
「まともな人付き合いは出来ているだろう?ドナルド君はクリフの親友じゃないか。」
「え、引っかかるところそこなの?!ってゆーかドンのどこがまともなのよ!頭おかしいんじゃないの?!」
長い髪を振り乱しながら大きな身振りで吼える彼女は、若干ヒステリックな部分を除けば、とても常識人で兄クリフォードの異常さをよく理解していると思える。少なくとも彼女らの父親よりは。
「ドンは強くてかっこいいよ、サマー!」
いつの間にかヒル魔の隣に回り込み、左腿にしがみ付いていたジョーが、勇敢にも猛獣のような姉に反論する。この末弟は、真にアメフトが好きらしい。
「…いい、ジョー?どんなに強くて賢くて権力があっても、女を馬鹿にしてる男なんて最低だわ。『愛する女性の助けと支え無しには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことは出来ない』ってエドワード8世も言ってるわ。覚えておくことね。」
「……その後すぐにエドワード8世は退位したけど……」
「一言余計よ、フェイ!」
フェイ、と呼ばれた少女は、ディナーの用意された、ソファーから少し離れたテーブルについて本を読んでいた。前髪を眉の辺りで切り揃えた、御河童頭。濃緑のタートルネックセーターに、チェックのスカート、黒のハイソックス。今までの面々と比べると、その地味さは際立っている。視線を辿ると、本の背表紙に、『東洋聖獣事典』の文字。「下の妹は10で…そうだな…不思議ちゃん、って奴か。」先刻車内でのクリフォードの言葉が蘇る。
「そうさ、だから僕達はクリフが正当な手順を踏んで僕達に紹介しようとしている、『彼が望むように重責を担い、キング・オブ・ジョックスとしての義務を果たす為に必要な人物』に敬意を表するべきだろう?男か女かは兎も角として、ね。」
そう言うと彼はギターを止め傍のスタンドに立て掛けると、流麗に立ち上がりヒル魔の前に歩み寄った。
「初めまして、ミスター・ヒルマ。僕はレオナルド。クリフの弟で、音楽をやってる。レンと呼んでくれ。」
す、と先程までギターを奏でていた白く骨ばった右手を差し出す。
「…ヨーイチ・ヒルマだ。好きに呼びやがれ、糞王子サマ?」
少し乱暴に、ヒル魔も自身の右手を差し出した。
「TVで見るよりずっと美しいね。」
ヒル魔より数インチ背の低いレオナルドは、しかと握ったヒル魔の鋭利な手指をそのまま掬い、唇を寄せ……る前に、盛大にヒル魔に払われた。
「ケケケ、テメェはテレビで見るより女みてぇなツラだなァ。」
「フフ、なるほど。君を見てクリフの好みが漸く分かったよ。…お近づきになれて大変光栄だ。」
それを見ていた上の妹が、「気色悪い!」と言ってレオナルドの脛を蹴飛ばした。
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another本編では登場させなかったのですが、やっぱ(?)先生と言えば大型犬だろ、と思い、わんわんを登場させてしまいました〜。あ、あと書いてませんが床暖です。笑
レオナルドは本当は英語発音だとレナードって書いた方が近いんですが、日本語的にはレオナルドの方がふつくすぃかな〜、と思い、そのままにしました。
しかしいくらなんでも前回更新から時間が経ちすぎました…。爆
色々捏ね繰り回してるのでどこかで設定に矛盾が出ないか大変心配です。
ダディーの名前はcitrus gingerさまより拝借いたしました。感謝です。