六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人の許嫁である乙女のところに遣わされたのである。
その乙女の名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと
名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は
永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない―――」
そんなもの、何度も聞かされずとも、一度読めば全て覚えた。何故、見ず知らずの奴の誕生日なぞ祝わなければならないの
か。本当にその『いと高き方の子』とやらがおわすのならば、何故俺は今ここにこうして居るのか。毎年件の『いと高き方の
子』とやらの聖誕祭に俺達の誕生が一緒に祝われるのも、誰も俺達の本当の誕生日を知らないからだ。生まれたその日に俺を
捨てた親が、何を思ってその『いと高き方の子』とやらの先祖、歴史上最も偉大だと謳われる王の名をつけたのか知りたくも
無いが、こんな日に、俺と同じ名前の王の子孫らしい奴の為にニコニコと讃美歌を歌っていられるほど、俺は馬鹿でも無邪気
でもなかった。
『天使のように愛らしい』らしいこの容姿も、十は離れた年上のガキよりもよほど回転の良い頭脳も、『御神の祝福が与え
られている』らしい身体能力も、大人たちにとっては『気味が悪い』要素でしかないようだった。今日の奴らもそうだ。何ヶ
月も前から決まっていた養子縁組の話は、「ごめんなさいね、急に事情が変わってしまったの。でも、あなたみたいに優秀な
子なら、すぐに引き取り先が見つかるわ。」と言って白紙になった。そう言いながら、そいつが別の施設から子供を預かった
のも、シスターがそれを知っていて俺に隠しているのも、俺は全て知っていた。そうして、纏めた多くはない荷物も、冬を乗
り越えるには薄すぎるコートも、全て無駄になった。
君なるイェスは 今生れ坐しぬ
いざ奉れ 称えの歌を
グローリヤ インエクシェルシスデオ―――
御使いたちは 良き訪れを
告げて歌えり 声高らかに
グローリヤ インエクシェルシスデオ―――
生まれてこの方経験してきた、そうした全ての事柄を、『主の愛故の試練』だと妄信できるほど俺はお目出度くもなく、敬
虔な信徒を演じて手を合わせ膝をつけるほど俺は大人ではなかった。ただ、この日が早く過ぎることだけを願っていた。ただ
息をしているだけの、この檻の中の生活は決して心地よくはない。やろうと思えば、この小さな身体でも、容易く抜け出すこ
とができるだろう。だが、抜け出した先の外の世界も、ここでの生活と大差ないと、俺は知っていた。だから、何度もあった
養子縁組の話がその回数分だけ流れたからと言って、悲しいだとか腹立たしいだとか、そういう感情すら湧かなかった。あぁ
、またか、そう思っただけだ。
『救いの主』と呼ばれる輩は、数々の奇跡を起こしたらしい。水をぶどう酒に変えたり、盲人の眼に視力を与えたり。しか
しそれらの祝福は、必ずしも幸福をもたらすものではないと思う。現に俺は全てを持って生まれてきたが、何一つ手にするこ
とは出来なかった。俺と同じぐらいのガキが、親に手を引かれ礼拝にやって来ているのを見ると、俺は無性に全てを壊したく
なった。だが、壊したところで何にもならないと分かっているので、俺は代わりに、自分の左手を、自分の右手で握ってみた
。「寒いでしょう、ほら、手を出しなさい」と言われているガキは、きっとこんな感覚なのだろう、と。自分を可哀想だとも
、不幸だとも思わない。でも、何故生まれてきたのだろうか、とは何度も思った。
キィィ、と、古くなった教会の扉が開く音がする。クリスマスの夜に家族と過ごさず、イベント事を催している大きな教会
ならまだしも、こんな襤褸くてちゃちな教会に来るなど、相当な物好きに違いない。俺は礼拝堂に続くドアをほんの少し開け
、その物好きな奴の顔を一目見てやろうと覗き込んだ。
そこには、逆立った金髪の男が二人並んでいた。如何にも金持ちそうな、若い男達だ。応対しようと出て行ったシスターが
、驚きのあまり固まっている。数秒観察して、俺は二人の男に見覚えがあるのに気がついた。施設に一つしかないテレビでよ
くかかっている、フットボールの試合で――
「メリー・クリスマス、糞シスター。ここにディヴィッドっつーガキはいるか?5歳ぐらいのチビで、金髪に碧い目玉の生
意気なガキだ。」
「…は、はい。おりますが………どのようなご用件でしょうか?」
「そいつを貰い受けたい。」
「…え、ええとそれは…」
「ディヴィッドっつーガキを養子に迎えたい、っつってんだ。…それともどっかもう引き取り先が決まってんのか?」
「い、いえ…」
「じゃあ決まりだな。…これを置いていく。好きに使え。」
ファーつきのロングコートを着た、背の高い男が、内ポケットから取り出した紙に何事かを書き、シスターに手渡した。
「こ、こんなに…!これは受け取れません!わ、私たちは、子供たちを売っているわけではないのですよ!」
「クリスマス献金だ。今日まで俺達のガキを育ててくれた礼もな。…書類か何か、記入しなくていいのか?」
「は、はい今……ディヴ!ディヴィッド!!ディヴィッドは居る?」
シスターが小走りでこちらに近づいてくるのが見えて、俺は内側にドアを引いた。
「そいつがディヴィッドか?」
「ケーケケケケ!マジで夢のまんまだ!テメーにそっくり!ケーケケケケケケ!!!」
俺の姿を認めるや否や、背の低い方の、耳が尖った男が腹を抱えて笑い出した。
「サニー、笑いすぎだ。……でも、確かに似てなくもねぇか。」
「ディヴィッド、こっちへいらっしゃい。こちらの方達があなたを引き取ってくださるそうよ。きちんと挨拶なさい。」
俺は言われて、男達に向かって歩き出した。何故だか、恐怖からではなく足ががくがくと震えて、ともすれば走り出しそ
うになるこの足を抑えるのに大変だった。
「テメーがディヴィッドか?」
男達の前に立ち見上げると、耳が尖った男がニヤリと笑い俺に声を掛けた。
「あぁ、俺がディヴィッドだ。」
「ケケケマジでテメーにそっくりだ。糞可愛くねーところも、五歳で世を拗ねてやがるところなんかもな。」
「…テメェほどじゃねぇよ。」
「おい糞息子、よく聴け。今日から俺たちがテメーの父親だ。俺たちのことは知ってっか?」
「知ってる。テレビで見たことある。」
「なら話は早ぇな。テメーの名前はディヴィッド・ルイスになる。よく覚えとけ。」
そう言って悪魔のように綺麗な男は、俺の頬を長く細い指でぐりぐりと撫でた。離れていく男の指が濡れているのを見て、
俺は自分が泣いているのを知った。
俺は初めて、見たことも会ったこともない『いと高き方の子』とやらの生誕を、祝ってやってもいいと思った。
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To Zionの続きです。To Zionと共に二代目拍手お礼文でした。
クリフォヒル第一子を引き取る編。
ヒル魔さんが夢でお告げを受けて(笑)ディヴィッドを引き取ることに決めました。
やっぱハッピーエンドしか無理でした。
この時ディヴィッド五歳。(笑)名前適当すぎましたごめんなさい。