入国審査を終え、手荷物を受け取り、税関を抜ければ、眩暈がするほど広いロビー。そしてうんざりするほど人、人、人。
その多くは観光客だと一目で分かる。中でも多いのは日本人か。こんな時期にこんな場所に来て一体何をしようというのか。
ショッピングをしようにも殆どの店はクリスマス休業。見るものといえばロックフェラーセンターの巨大クリスマスツ
リーぐらいか。体力が有り余っている者ならばその下でスケートでも滑るのだろうが、それらのどれにも露程も興味が湧かな
いヒル魔は、早くも今回の渡米を後悔し始めていた。
事の発端は、クリフォードの一言。
「見てえだろ?シュガーボウル、ノートルダム大VSフロリダ州立大。VIP席だ。」
加えて、移動費も宿泊費も全てあちら持ちだという。駆け引きを持ち出す以前に、ヒル魔の不戦勝だと言わんばかりの条件。
裏が無いと考えるほうがおかしい。何よりこの場所。ノートルダム大のあるサウスベンドでもなく、シュガーボウルが行われ
るニューオーリンズでもなく、何故ニューヨークなのか。そして日程。シュガーボウルは今年も例年に漏れず元旦開催。大晦
日に現地入りすれば全く問題は無いはずだ。にもかかわらず、何故ヒル魔は、12月23日のクリスマスボウル終了後すぐ、スー
ツケースを引き摺って飛行機に飛び乗らなければならなかったのか。移動時間に10時間以上。けれどその分時差が時計を巻き
戻して、現在時刻はヒル魔が日本を発ったのと然して変わらない。
糞、と小さく口に出して毒づくと、ヒル魔は新しいガムを噛み始めた。そして、全ての元凶に、少しでも苛立ちをぶつけて
やろうと、携帯を取り出す。3コール目で、自身の右耳から聞こえるコール音と交互に鳴る電子音が、前から近づいて来るのに
気付いた。
「?……………く…………クェ……ケ、ケーケケケケケケ!!!!」
堪え切れず、ヒル魔は携帯を右耳に当てたまま、大声で笑い出した。
「ケケケ、ケック、ケッ!ありえねー!随分とまた上手に化けたものデスネ、ケーッケッケ!」
「テメェの変装が温いんだよ、サニー。」
ヒル魔は笑い過ぎて咽ている。そのヒル魔を、少し高い目線から覗き込むようにして前に立つ男は、ポケットから鳴り続け
る携帯電話を取り出しコールを止めた。ボサボサの茶髪、髪と同じ色の口髭、擦り切れたブルージーンズに履き古したコンバ
ースのスニーカー、カーキのダウンジャケット。ご丁寧に楕円型の黒縁眼鏡まで掛けて。クリスマス休暇ぐらいパパラッチに
追い掛け回されたくない、といったところか。鍛えられた体躯こそカバー出来ていないが、何処からどう見ても冴えない男の
風貌だ。実年齢より十は老けて見える。この姿で「サニー」などと呼ばれたら、それはもう親戚の叔父かなんかが甥に向かっ
て「坊や」と呼んでいるようにしか見えないだろう。
「ケケケ。すげー似合ってマスヨ先生。もう惚れちゃいソウ。」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。これからは悪魔じゃなくて天使、ってハッタリ吹いたらどうだ?」
厭味を言ってやったのに、柳に風と受け流されて、ヒル魔は憮然とする。天使―――というのは、珍しくヒル魔が白に包ま
れていたからだ。ファーつきのダウンも、パンツも靴も全て。それはスーツケースの黒に引き立てられ、逆立った金髪と共に
光り輝いて見えていた。ヒル魔が言い返せないのは、クリフォードの言葉が、半分は嫌がらせ、もう半分は本心からだと分か
るからだ。クリフォードは自然な所作でヒル魔の手からスーツケースを受け取り、片手でヒル魔の背を押しながら歩き始めた。
それらの完璧すぎる一連の動作に先程の苛立ちが蘇って、ヒル魔はクリフォードの鼻を摘み、「ご自慢の鼻は隠せていません
ヨ、センセー。」と、ガムを大きく膨らませて見せた。
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吐き出す息が白く、外気に触れている顔や指先がチクチクと痛んだ。外よりは幾分マシとは言え、暖房を切っていたバンの
中は冷え切っている。力を抜いてシートに身を沈めれば、航空機の飛行音より近く、車のエンジンが掛けられる音と、ベンチ
レーターとダッシュボードから温かい風が吹き出てくる音が聞こえた。少し冷たいが、サイドガラスに頭を預け、アームレス
トに凭れ掛かる。クリフォードは、サイドブレーキの上に置かれたタオルを手に取り、フロントガラスを拭いている。ダッシ
ュボードから吹き出る暖気と合わさり、急激に開けていく視界に、暗い空にいくつもの光が流れるのが見えた。
「…つーか、なんでニューヨークなんだよ?」
クリフォードはフロントガラスを拭き終えると、車内が暖まるのを待っているのか、シートに深く座り落ち着いている。相
変わらず冴えない男の風貌まま、視線だけは一瞥で人を殺せそうな力で、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「…日本のクリスマスってのは、恋人同士甘い時間を過ごすものらしいな。」
目の据わったクリフォードの口から「恋人」だとか「甘い」だとかいう言葉が出てきた気持ち悪さにヒル魔はゾッとして、
小さく背筋を震わせた。対するクリフォードはひどく上機嫌なようで、そんなヒル魔を見てニヤニヤとエアコンの温度を上
げただけだった。
「アメリカでは、クリスマスは家族でゆっくり過ごすもんだ。」
「だから?回りくどい言い方すんな。なんでこんな糞うるせえ時期にわざわざニューヨークくんだりまで俺を呼び付け
やがった?」
「サニー、テメェ案外鈍いな。日本では恋人と、アメリカでは家族と。…俺の実家はブルックリンだ。」
「な…」
ヒル魔の、高性能を誇る悪魔の頭脳は、今回ばかりはローディングに時間が掛かった。それというのも、悪魔の策士にとっ
て、クリスマスと恋人、もしくは家族というものは全く別次元の概念で、今の今まで全く結びつかなかったのだ。ヒル魔に
とってクリスマスといえば、クリスマスボウルだけで、今年はそのクリスマスボウルすら既に終わっているのだから、後は
もう元旦まで消化試合の様相だったのだ。誰が思うものか。クリフォードが、家族と共に、恋人(ということになるのだろ
うか)のヒル魔を招いてクリスマスを過ごすつもりでいる、などと。
これが何処ぞの女が相手であったならば泣いて喜ぶところなのだろうが、生憎ヒル魔は何の感慨も無く、ただ「面倒くせぇ
野郎だ」、と思っただけだった。そしてこれっぽっちも望んでいなかった色っぽい展開にがっかりもした。強いて言えば、
期待していなくもなかったので。
「…んだ、年末のジャイアンツとかジェッツの生試合を見せてイタダケるのかと。」
「どんだけ図々しいんだよテメェは。クリスマス過ぎたらすぐに大学戻って練習だ。日曜のNFLの試合までニューヨークに
は居ねぇよ。」
「…おいテメー、まさかとは思うが」
「当然お前も来んだよ。25日までは俺の実家、26日朝サウスベンドに一旦戻って31日にニューオーリンズに移動だ。」
「糞!バカかテメェは!」
「うるせーな。心配しなくても全部ファーストクラスだ。」
「んな心配してねーよ!なんで俺がテメーの予定に合わせなきゃなんねえ?」
ヒル魔は手にしたライフルの照準を素早くクリフォードの眉間に合わせた。するとクリフォードは器用に片眉だけを上げて、
黒縁眼鏡の向こうの瞳をギラリと光らせて助手席に身を乗り出してきた。
「来年からはテメェもアメフトでクリスマスどころじゃねえだろ。今年だけだ。休みらしく、一緒に居られんのは。」
射殺しそうな視線に吐き気がするほど甘い言葉を乗せられて、ヒル魔はうんざりと、諦めにも似た思いで瞳を閉じた。
ゆっくりと唇が塞がれ、偽物の髭の擽ったさを感じながら。
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100ヒットゲッター、あやさまに捧げます。リク内容は最後に公開、ってことで。
一応クリスマス〜年越し、という設定ですが、断片的に切り取った感じです。
あ、もちろん重火器は機内に持ち込んでも海を越えても駄目ですが、原作設定に倣って。