「糞癖毛、テメー、今日はよくやったな、痺れたぜ。」
「ありがとう。ヒル魔氏にそう言ってもらえると嬉しいよ。」
ガ、チャンッ…!
シャンデリアの豪奢な明かりを反射する真っ白い食器が、
よく磨かれた大理石の床に落ちる音が空しく響いた。幸い皿は割れることは無かったが、上に乗せられていた
生ハムメロンが無残に床に散っていた。
皿を落としたのは、日本チーム補欠センター、十文字一輝。そしてここは、ニューヨーク州、マンハッタン、モーガン邸。
アメリカンフットボール・ユースワールドカップ終了後の、全関係者参加による立食パーティの会場だ。各参加国の選手、
スタッフ、そして主催者たちが一同に会し、お互いの健闘を称え合い、交流を深めている。マスコミ関係者は立ち入り禁止の、
フランクな立食会ではあるが、
一応ドレスコードが設けられていて、選手たちも今日はユニフォームを脱ぎ、各自持参したタキシード、もしくは自国の正装
を着用している。が、十文字を含め阿含の独断で招集された日本チーム二軍選手たちは、タキシード持参の旨を知らされて
おらず(あの阿含がそんなことを伝えるはずも無い)、先程ヒル魔に「着ろ」と押し付けられたタキシードスーツを
纏っていた。
今、ありえない人物の口から奇妙な言葉を聞いたような気がする。十文字の脳裏に、関東大会出場祝いの打ち上げでの
惨劇が蘇り、慌てて首を振った。いや、今のは夢に違いない。
「…なぁ黒木、今あの悪魔が大和に『よくやった』とか『痺れた』とか言ってんのが聞こえたんだが…?」
「…トガ、俺も、バッチリ見た…夢じゃねぇよな?…おい十文字、テメー聞いたか?」
隣の二人の言葉に、必死で追い払おうとしていた悪夢が現実であると突きつけられ、
十文字は件の悪魔ではないが「糞」と吐き捨てたくなった。
「……ああ、バッチリ見たしバッチリ聞いた。ったく、どこのどいつだ?こんな未成年だらけんトコで
ヒル魔に酒なんざ飲ませやがった奴は!?」
そう、ヒル魔は酒が入ると人格が変わる。いや、厳密に言うと、言動が変わる。いつもの邪悪な笑みを浮かべたまま、
いつもの下品な口調で、相手を褒めまくるのだ。顔色一つ変えずに、ガラリと口から出る台詞だけが変わるので、周囲は
余計混乱する。十文字たちも栗田に「ヒル魔はお酒を飲むと素直になるんだー」と指摘されなければ、あまりのヒル魔の
変貌振りに自分たちの方が狂っていたところだ、と思う。「素直になる」という表現が適切であるかどうかは甚だ疑問では
あるが。なぜなら、いつもの調子で、「糞長男、随分イイ身体になったじゃねぇか」だとか、「うっわすっげ腹筋…脱いで、
もっとよく見せろよ」だとかほざきやがるのだ。あれはどちらかというと、口説いているというか、誘っている部類に
入るだろう。
ヒル魔は誰に対してもそのように接するので、勘違いするようなことは無かったが、十文字は油断すれば下半身に熱が
集中しそうになるのを堪えるのに必死だった。ちなみに、武蔵や栗田などは慣れたもので「はいはい」と軽く往なして
いたが、セナなどは本当に反応してしまい、その自分の情けなさに泣いてしまっていた。酒に弱いわけではないので、
更に性質が悪い。言葉攻めとも誘い受けとも襲い受けとも取れる言動が、酒が入ってからヒル魔が酔い潰れるまでの数時間、
延々と続くのだ。
「アメリカって日本より飲酒制限厳しいんじゃねーのかよ…。」
「アハーハー!どうだいムッシュー戸叶も。シャンペーンだよ。はい、チアーズ!」
「うわバカ来た、ウゼーっ!!」
「なっ?!アリエナァーイ!ひどいじゃないか、ムッシュー黒木!」
「おいバカ、テメーそれどうした?」
ぎゃあぎゃあと五月蝿い黒木と瀧に、十文字は厳しい声で詰問した。瀧の言葉を信じれば、今瀧が両手に持っているのは
シャンパンということになる。
「これかい?これならさっきマドモアゼルメイドが配っていたよ。」
なんだよそのマドモアゼルメイドって?!ウゼェ!!とまだ黒木が叫んでいたが、十文字は瀧の返答に溜息を落とした。
「メイドが配ってた、って…じゃあモーガンが酒出してんじゃねーかよ…。」
主催者が法律違反かよ、誰か止めろよ、と力なく十文字は突っ込む。
「…まぁでも、相手が大和なら大丈夫か。」
「まーな、爽やか少年の塊みたいな奴だしな。」
十文字の呟きに、戸叶も同意を示す。爽やか少年の塊って何だよ、と突っ込む気力は無かった。
「…はっ!オイ、ドレッド野郎は?!」
阿含が今の状態のヒル魔を見つけてしまうと、非常に危険なのではないか、と十文字は阿含を探した。
一見超絶仲が悪いように見える二人だが、阿含のヒル魔を見る視線には下卑たものが混じっていて、十文字は彼らがただの
険悪な仲ではないことを理解していた。
「安心しろ、十文字。アイツはさっき女と一緒に出ていった。こっちには来てねぇよ。…チッ、あのリア充ハゲ坊主が!」
「ってオイ見ろよ!ヒル魔の奴アメリカチームに乗り込むぞ!」
「「ハァ?!」」
そ、それはヤバイ。まだデビルバッツや、日本チームの輪に居れば、ヒル魔がどんなに壊れても、誰かしらストッパー役に
なり回収してくれるだろうが、アメリカチームは完全に治外法権だ。ヒル魔の言葉を勘違いしてお持ち帰りしようと
する輩が出ないとも限らない。話し合いか、もしくは力づくでも解決できればまだいいが、例えば相手が、ドンのような権力も腕力もある輩だと
したら、話し合いでも力ずくでもヒル魔を取り戻すことは限りなく不可能に近い。そんな十文字たちの危惧を他所に、
ヒル魔はずんずんと、ドア付近で談笑するアメリカチームに近づいていく。
待て、早まるなヒル魔…!と叫ぼうとしたところで、十文字は顔を引き攣らせて固まった。ヒル魔が向かう先に、
坊主頭が見える。
「な、なんでアイツがいんだよ…!女はどうした?!」
「し、知るかよ、んなこと!」
「…なぁヒル魔の奴、アメリカじゃなくて阿含に向かってねーか?」
ヒル魔の歩みが、待ちきれないとばかりに小走りになっている。そして最悪なことに、ヒル魔は談笑するアメリカチームを
素通りし、後姿の坊主にぎゅ、と抱きついた。アメリカチームをはじめヒル魔の周囲に居た他の選手たちも、
何事かと注視する。黒木が「オッサンとデブはどこ行ったんだよ?!」と叫んでいるが、もう今更だ。誰に抑えられている
わけでもないヒル魔は、更にエスカレートし、坊主頭の首筋に顔を埋めて、
「……雲水」
と囁いた。
ピキ、と空気の割れる音が聞こえた気がする。
後ろから羽交い絞めにされた坊主頭は、ギギギ、と壊れかけのロボットのような音をさせて首を回し、ヒル魔を振り返った。
「…テメー、カス…今、なんつった…?」
いやソイツ多分今相当酒入ってっから、と、他人事ではあるが十文字は弁解したくなった。
・
・
・
ハイテンションジェットコースターで行きたかったんですが私には無理でした。
私はどうもゴン氏を苛めたいみたいです。まさかの雲ヒルオチでごめんなさい。
普通ならいくら後姿でもヒル魔さんがゴンと雲水を間違えることは無いと思いますが、酔っ払ってるし、
ということで大目に見てください。