それは、取るに足らない日常の一場面に過ぎなかった。
1、2、3……5まで数えて、阿含は伸した人間の数を数えるのをやめた。
吐きながら這い蹲る男の後ポケットから財布を抜き出し、札だけを掴む。
どいつもこいつもシケてやがる、と舌打ちし、十人目を取り出した所で、どぎついネオンも届かぬ暗闇に黒く細い足が見えた。
その少年は立っていた。
つまり、阿含が沈めた集団の者ではないということだ。
特に興味も無かったが、少年の先にもまだ伸びた金蔓が居る。
阿含は顔を顰め立ち上がると、少年を正眼に据えた。
闇の中、光を集めた鮮やかな金糸があった。
阿含と同じ、いや、少し明るいくらいだろうか、真っ直ぐに逆立った金髪、細く鋭い眉、切れ長の目尻や薄い唇は妖艶ささえ
漂わせ、尖った耳に四つのピアスが下がっていた。
黒い服に黒い靴、背に構えた黒い物体はライフルのように見える。
なんだコイツ、彼に対する阿含の第一印象はそんなものだ。
解放しきれなかった熱は身体の奥底で出口を求めてざわめいていたが、不思議とその少年を傷つける気は起きなかった。
しかし、だからと言って興味も無い。
阿含はただ少年の脇を通り抜けようとした。
「金剛阿含。」
予期せぬその一言は、阿含の足を止めるには充分だった。
「5月31日生まれ13歳。165p60s。B型左利き。その類稀なる身体能力のため百年に一人の天才と呼ばれる。欲望に忠実。
双子の兄の名は雲水。」
変声期を迎えたばかりであろう低く掠れたその声は、阿含の鼓膜から心臓にまでその振動を伝えるようだった。
「……テメエ、誰だ?」
阿含のすぐ左に少年がいる。
四肢も胴体も細長く、首など少し力を加えるだけで簡単に折れてしまうだろう。
構えた銃など何の役にも立たない。
少年はけれど脅えた様子も無く、器用にガムを膨らませパチンと割ると、その薄い唇を開き牙のような犬歯を覗かせた。
「蛭魔妖一。テメーと取引がしてぇ。」
合わせた視線は、阿含が知るどの人間より深い黒で、阿含の知るどの人間より獰猛な色を湛えていた。
ヒルマヨウイチ。
その音がどの言葉よりも阿含の虚ろな渇きを潤すことになろうとは、この時の阿含は知る由も無かった。
それは、取るに足らない日常の一場面に過ぎない―――筈だった。
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気持ちだけアヒル祭りの一環。
中学アヒルの出会い編を書こうと思ったんですがこれ以上思い浮かばず断念。
没ネタ第三弾となりました。2010/2/6日記より。